一 番 星 






 時々、ふと、思うのだ。
『心が死ねばいいのに』
 そうすれば、無意味な郷愁の念も、理由のわからない罪への困惑も消え去り、この身と魂は誰よりも自由になれるのに。

   *** 

 秋の色は黄金色。
 木々の葉も、太陽も、風に揺れる公園のブランコの端さえも、世界の全てが同じ色。
 その色はどこか見慣れない色で……それでいてどこか懐かしく、物悲しい。


 夏の暑い盛りもとうに過ぎ、料理好きで通販好きな燕雀探偵社の主夫が
「産地直送の松茸で作った炊き込みご飯です!」
 だの
「食後のデザートは産地直送の梨のコンポートです!」
 なんて台詞とともに出してくれる料理を日々堪能している間に、秋は本番となっていた。
 そんな秋深い景色を背景にして、いつもの部屋のいつもの椅子に座って頬杖をついている少年を、大堂寺まゆらはほうけた顔で見つめていた。
 後ろにある大きな窓へ心持ち椅子を傾けた、程よいかたさのクッションに細い背中を預けた微妙な体勢のままの、彼を。
「わ、ロキ君、寝ちゃってる……」
 ところどころに得体の知れない――と言うよりかは、まゆらの感性からすれば是非とも譲ってほしいとねだってしまいそうになる、いわくありげなお面や調度品がある、それでも品の良い重厚そうな家具でまとめられた部屋の、ひいてはこの屋敷の主である探偵は、普段はアンニュイな表情か皮肉か辛らつの言葉が似合う少年で、けして人前で寝顔をさらすような人物ではない。
 と、他者が太鼓判を押すほどにド鈍いまゆらであってもわかっているのに、今日はこんな奇跡が起こっていたりする。蜂蜜を落としてゆっくりとかき混ぜたような空色だからなのだろうか、どこかまったりとした空気が漂っている気がしてならない。
「ロキ君が眠ってるなんて、まさに不思議ミステリー!」
 なレベルの出来事ではあったが、さすがにいつもの調子で身悶えるのははばかられた。
 かわりに、その不可思議な光景をまじまじとみつめてしまう。
 黙っていれば抱きつきたいほどにかわいらしい少年のまつげが想像以上に長いのだと気がついてしまったり。目を閉じていると、見かけよりもあどけない感じがしてドキマギしてしまう。
 膝の上に落ちた、読みかけの分厚い本。まゆらには、その本が何語で書かれているのかすらわからない。
『……普段は悪魔みたいな子なのに』
 黄金色をした秋の光が一筋、やわらかい髪に降りかかっているさまなど、まるで天使だ。
 あの、沼の底をのぞいているような心地にさせる印象的な目がさらされていないだけでここまで正真正銘の『子供』に思えるのだからなんとも不思議だ。
 大人顔負けの口調が聞こえないだけで年相応に見えるのだから……とまゆらが考えていると
「覗き見なんて悪趣味だよ、まゆら」
 うんうんロキ君なら絶対こう言う、と考え付いた台詞が聞こえて、はっと我に返ると――目の前には右目だけぱっちりとあけてこちらを見ている、屋敷の主が。
「あ、わ、お、おはよう!」
「おはよう、まゆら」
 夕方なのだからおはようもなにもないだろうに、案外と屋敷の主は律儀であるのかきちんと挨拶を返してくれるのだ。それでもあきれ果てているのだろうか、再び右目は閉じられ、口元はへの字になっている。先ほどの天使のそとづらは、今は無表情に近い仏頂面。
 そんな表情を見ていると
『今日はノックをちゃんとしたんだよ、眠ってた方が悪いんじゃない』
 と言いたくなってしまうが、ふと、ロキの背後に見つけたものに気を持っていかれるのがまゆらたるゆえんであるのだろうか。
「あ、一番星!」
 思わず机に乗り出して指差してしまう。そこには、残照に淡く浮かび上がるようにして輝きを放つ、一番星。
「一番星発見するなんてラッキー! 今日はいいことがあるかも!」
 音符を飛ばさんばかりの勢いでうれしがるまゆらを半眼でちらりと見上げる格好で、
『――今日はいいことがあるかも、なんて、もう『今日』は残り少ないんだけど』
 ロキは珍しくこの台詞を口にしようかしまいかと逡巡したが――最終的には、くすりと笑んだ。怒られても注意されてもまったく気にしない、良く言えば底抜けに前向き――悪く言えば反省を知らない――まゆららしい言動だから。
 寝顔を見られたなんて気にしても仕方ない。こちらの迂闊さ加減が悪いのだ。まゆら相手だと、時折そう思えるのだから、おのれにとっての彼女こそがまさしく『不思議ミステリー』だ。

   ***

 ――心が死ねばいいのに。

 物悲しさの漂う秋の光に包まれてうたたねをする前に考えていたのは、そんなこと。
 けれども、本当に心が死んでしまったら、こんな些細なことが面白いと、楽しいと感じなくもなるのだろう。それは少し――いや、かなり、寂しい。
 ロキは、まゆらが指差す一番星を見上げた。星は、どの地で見ても同じ光を投げかけていた。

 ボクはボクだ。どこにいても、なにをしていても――心が死んでいなくても、ボクはボクとして在り続ける。





ご挨拶程度の、なんのひねりもない、五ヶ月ぶりの散文でした(笑)。