「暇、だなぁ」
趣のある洋館の一室で、その屋敷の主である少年は、机に頬杖をついた格好でしみじみと呟いた。
誰かさん言うところの『不思議ミステリー!』な事件の依頼はおろか冷やかし客さえこないし。
その誰かさんが入り浸る時間にはまだ三時間も残っている。
明るい光を投げかける太陽はうらうらと中天を過ぎた頃。
燕雀探偵社を営むその屋敷の主夫が腕を振るった昼食もとっくに食べ終わってしまった。
その主夫は、夕食の買い出しにでかけてしまって留守だし。
日課にしている記録付けも、新聞のチェックもとうにすませてしまったし。
読書もなんとなく気乗りがしない。
本棚におさまったシェークスピア。
古典文学から幅を広げてみようかと色気を出してみた手付かずのアゴタ・クリストフ。
誰かさんが『オススメ!』と押し付けていった、隔月発刊のオカルト投稿雑誌とダ・ヴィンチ・コード。
なにをしにくるのかわからないものの食事だけはきっちりと五人分は平らげていく某雷神も、誰かさんと同じく学生の身なので授業中。
彼はシェークスピアなんぞ読むのだろうかと考えるものの、すぐにその疑問には答えが出るところなどさびしい限りだ。バイトの求人雑誌以外に彼が目を通す活字などありはしない。なんとも推理のしがいもない。
……仮初めの身分に付随する都合なんてお構いなしに行動している、某刺客達の影さえない。
「退屈、だなぁ」
ロキはもう一言、呟く。
偉いからえっちゃん。と名づけた、ぽよぽよした式神のほっぺたともつかない場所を引っ張って伸ばして遊んでいるのか体操をしているのか、そんな戯れも午前中にしてしまった。そのえっちゃんは現在遊ばれ疲れてしまったのか、ロキの頭の上でとろ〜んと伸びきって幸せそうに眠っている。
「……」
ロキはぼんやりと、窓から投げかけられた昼の光によって机に淡く落ちたおのれの影を見やった。
なにやら、この環境変化が――おかしい。
ふと、そう感じた。
おのれがいるべき場所に存在していた時も、周囲には変わらず他者が関わっていたけれど……こんなにもおのれはその『他者の存在』に感化されていただろうか? 『他者の不在』はおのれになにかしらの影響を与えていただろうか?
思い出そうとすればするほど記憶は曖昧になりおのれの気持ちすらぼやけて消えていこうとするのが大層もどかしかったけれど……頭の上で式神がむにゃむにゃと寝言を言い、覚醒するそぶりを見せたので、ロキは考えるのをやめてしまった。まだ眠っていていいから、なんて、他者を慮った為に。
心変わり。
または単なる環境変化?
もしかしたら相乗効果かもしれない。
けれどもそれは不愉快ではなく、いっそ好ましい。
「暇、だけどね」
先とは微妙に違う言葉を口にする。
そう、『今』は『暇』で『退屈』でも、あと三時間もすればその『暇』と『退屈』が懐かしく感じるだろう。
人の気配が抜け落ちたこの屋敷にも、夕食の温かい香りが漂うだろう。
書店に注文していた本も届くだろうし、もしかしたらあの『鳴神君』も顔を出すかもしれない。そろそろ例の大島家の令嬢も遊びに来る時期だ。
ロキは頬杖をついた体勢のまま目を閉じる。
心変わりと言わば言え。それを知らなかった過去には戻れないのだから。
|