お泊り・肉じゃが・さびしんぼ 

− お泊り −






 燕雀探偵社の探偵秘書である闇野青年の趣味は、主夫業に通販に……なぜか、登山サークル。
 家を離れることはおろか主である少年から離れることすら厭う彼だが、その主から
「月に一度くらいでかけておいで。ボクのことは気にしなくて良いからさ」
 なんて言われれば、前向きな気分でお泊りの定例登山にもでかけられようものだ。屋敷の家人である兄フェンリルと、ぷにょぷにょと漂っている式神のえっちゃんまでもなぜか引き連れて、嬉しそうにでかけていった。
 

『ボクのことは気にしなくても良いからさ』
 なんて言ったものの、実は本音はそうではなかったロキであった。
 家事一切は闇野青年に任せっぱなしであるので、いまだにお茶ひとつ満足にいれられない。これは身長差の為と言うよりは、生来のもの。何度か試してみたものの、とことんと家事向きのスキルはないらしいと再確認するばかりだ。
 そんな彼は、もう夕方であるのに、まだ夕食の下ごしらえすらしていなかった。昼食は闇野青年の作り置きがあったから良かったし、三時頃には散歩もかねて買い出しにも行った。けれども、陽が落ちる頃になると、なんとも気乗りがしなくなった。
 ご飯を作るのは明日の朝だけでいいや、今日は店屋物でも取ろう。と、応接室のいつもの机に広げてみたのは、もしもの時の店屋物メニュー。
 でも、ピザ、寿司、中華料理、鰻、定食屋……と、色々と並べ立ててみても、どれもこれもいまいちピンとこない。
 ロキはメニューの束を手にぼーとする。そのうち、ぽてっとメニューの海に突っ伏した。
 今食べたいのは、出来合いのものではなくて……もっとこう、手作りの、あったかい、なにか。それって……。
 メニューの海に突っ伏して、あともう少し考えていたら頭の中にある『今食べたい何か』がわかりそうだ……と思った瞬間、ロキは目の前に信じられないものを見た。
 それは、いつもの勢いで扉を開けて
「こんばんは〜、ロキ君!」
 なんてひらひらと手を振っている、大堂寺まゆら。
「……ピンク一色」
 の、右肩から下がった大きなピンク色のボストンバック。と、左手に抱えられた……鍋。
 予定外であった彼女の存在と、まるで家出をしてきたかのようなボストンバックと、どんな状況にもそぐわないピンク色の風呂敷からのぞく鍋に、思わずロキはほうけたように指摘するしか反応ができなかった。どれもこれもが信じられない『モノ』であった。
「闇野さんがお泊りだって聞いて、わたし、遊びに来ちゃった。ほらほら、ちゃーんとご飯も作ってきたのよ!」
 ジャーン! 昨日から炊き込んでしみしみにしてきた肉じゃが!
 とご披露してくれる、ピンク風呂敷の鍋。に、なにを言うこともできない屋敷の主。
 かわりに、
「じゃぁ、その大きなバックはなになのさ?」
 なにやらこめかみがツキツキする。ロキは額を押さえながらも念の為に確認してみると
「もちろんお泊りセットに決まってるじゃない」
 即答である。
「明日は日曜日だから友達の家にお泊りするってパパには言ってあるし、友達には話をあわせてもらってるから、裏工作はばっちりなの。だから安心してね」
 それのどこが『安心してね』になるのかわからないロキは、これ見よがしにため息をついた。『裏工作』なんて、最近の女子高生の発言は怖いし。
 まったく、彼女はここがどこで、目の前の人物が誰だかわかっているのだろうか?
「あのねぇまゆら。仮にも若い女の子が、男しかいない家に泊まりにきて『安心』もなにもないんだよ?」
「ロキ君しかいないのになにがあるっての?」
 もしかしたらこれだけ年季の入った洋館だもの、夜中に不思議現象があるかもしれないってドキドキして昨日は眠れなかったくらい!
 なんて、ロキの思惑とは違った方向でのイロイロは考えていたらしいまゆらの即答であった。こめかみのツキツキが頭の中心部に移動してくるのがはっきりとわかったロキである。
 ……あのね、なにかできるのなら苦労しないよ。
 または『なにかできるのならとっくにしてるよ』なんてロキのやさぐれた黄昏思考は、まゆらの前ではローソクの炎よりも儚いものかもしれない。ある意味、危機感も持ってもらえないこのちみっちゃい姿が心底恨めしい。責任者出て来いと大声で喚きたい気分だ。
 けれども。
『……ふーん。お泊りに、肉じゃが』
 ロキは、一人で『夜中のミステリー』に大はしゃぎしているまゆらの姿を眺めつつ、机の上に散らばしたメニューを脇へとよけた。
 ふーん、そうか。そうなのか。
 自分自身の心のうち、と言う、一番わかりやすいだろうけれど一番複雑で一番知るのが困難なもののひとつを理解して、ほのかに笑う。

 欲しかったのは、この雰囲気。