お泊り・肉じゃが・さびしんぼ 

− 肉じゃが −






「……おいしい」 
 肉じゃがを口に運ぶ以前の段階で
「おいしい? ねぇおいしい??」
 としつこく聞かれれば、回答の前に微妙な間のひとつやふたつ挟まっても不思議ではないけれど、ロキのその間はそんな意味合いではなかった。『意外』――それ以外の何物でもない間であった。
 普段の『オカルト、ミステリー好き』で素っ頓狂なまゆらの性格を見慣れていると、どうにも現在口にしている、ほろりと甘い肉じゃがの存在が信じられない。まともな料理ができるんだ、なんて大変失礼な感想すら持ってしまった。
 よくよく考えてみれば、幼い頃に母親を亡くしたまゆらである。これで意外に炊事洗濯は日常茶飯事なのだろう。そう考えれば、そこいらにいる新妻よりもよっぽど主婦業に年季が入っているのだろう。
 まぁ、
「味が足りなかったら調整してね?」
 と、食卓テーブルに出されたマヨネーズとわさびに
「まゆら……肉じゃがでしょう?」
 と突っ込んでしまったのは仕方がない。
 そうだった。某雷神から伝え聞いたところによると、まゆらの好みはホットケーキにケチャップ。その父親の好みは、ホットケーキにニョクマムだった。恐るべし大堂寺親子とその味覚。
 あまり深く考えないようにしよう、とロキはもう一口口に運ぶ。食べやすい大きさに切ってある色鮮やかな人参にもきちんと味がしみている。
 手早く炊いた白米もふっくらとしていながら、なんともロキ好みの微妙なかため。
 味噌汁の具がじゃがいもにわかめにお麩なのは、そこだけお子様向けなのか、それともまゆらの好みなのか、それしか材料が見つからなかった為の単なる偶然か。なんとなく聞きづらいので黙って口にする。やはり、意外にも……おいしい。
「ねぇ、ホントはおいしくないんじゃない?」
 まゆらがなんとも言えない表情で、今度は問いかけを変えてくる。
 え? なんで? 問われた方は素でわからなかったのだが
「だってロキ君ってば、ずーっと! ここにシワ寄せてるもの」
「……」
 あまりにも意外過ぎてしかめっつらをしていたらしい。
 ロキは眉間のシワをのばしのばししながら
「そんなことないよ、意外においしいよ」
 無邪気を装った営業用スマイルでまゆらの言葉を否定してみるが、どうにも本音がぽろりと混じってしまった。
「なーんかごまかされた気がするなぁ、ロキ君がその笑顔の時は」
 営業用スマイルだともばれているし、はぐらかそうとしているのもばれているが、ぽろりと出た本音には気がつかれなかったらしい。
 ロキは内心でほっと息をついた。さすがに、この段階でまゆらにへそを曲げられて食事を取り上げられてはたまらない。メニューを机に散らかしていた時は感じなかった空腹が今はお腹の真ん中に居座っているのだから。『育ち盛りなんだからしっかり食べないと』なんて、先には厭った立場におのれを置いてみる。我ながら現金なものだとセルフ突っ込み。
「ホントだよ、この肉じゃが、おいしい」
 もう一口運ぶ。今度の言葉は、ごまかしでもなんでもない意味合いの言葉。それがわかったからだろうか、まゆらは嬉しそうに笑った。
「肉じゃがって男の人の憧れなんでしょ? おふくろの味でロキ君ゲットだね!」
 いやそー言う意味じゃないし、とロキは思う。おふくろの味でゲットされる神様なんて、ちょっとばかり威厳に足りないではないか。
「肉じゃがってね、実はあんまり歴史が深くないんだ」
 話を振ってみれば、まゆらが目を真ん丸くする。
「うそ! だって日本の定番料理じゃない」
「肉じゃがができたのは、文明開化の明治時代。ほら、日本史で習ったんじゃない? 江戸時代には肉を食べる習慣はなかったって。発祥は広島の呉市とか京都の舞鶴とか言われてるな、海軍に関係があるんだ」
 ……そんな気もする、その頃のすき焼きを食べてる絵を見た気がする。ともぐもぐと咀嚼しながらのまゆらの言葉に、少しは神としての威厳が取り戻せたかな? とロキは思うが、元から高尚な神様ではなかったおのれの存在も同時に思い出してしまう。
「なーんだ、おふくろの味って言っても、まだまだ上があるってことね」
「まぁねぇ、お節料理なんかだったら歴史も古いけどね」
 きっとまゆらが言いたい『おふくろの味』とは意味合いが違うのだろう。そう推測していると、案の上そうであったらしい。
「……おふくろの味ってねぇ、お母さんの味だと思ってたの」
 ぽつりとつぶやかれた言葉には、色々な意味合いが込められていそうだった。
「わたしのママははやくに亡くなっちゃったからね、悔しいけど、ママの手料理ってあんまり覚えてないの」
 子供と大人の味覚は違うって言うし、仕方ないんだけどね。まゆらは案外屈託なく笑った。
「でもね、ママが作ってくれたホットケーキのことはちゃーんと覚えてるから、いいの。甘くってふわふわで、ホントーにおいしいんだから。ママみたいなホットケーキを作ってみたいんだけど、ママみたいにきれいなきつね色にできなくてちょっと悔しいかな。いつかロキ君にもつくってあげるね」
「楽しみにしてるよ」
 死者との記憶は美化と思慕を薄く幾層も積み重ね、けして生者が勝ち得ることはない。まゆらの中で母親のホットケーキはなによりも至上のもの。
 いずれロキが目にするだろうまゆらのホットケーキがどれだけふわふわで甘くてきれいなきつね色でも、まゆらにとっては『あと少し』なのだろう。それがわかるからロキは何も言わない。ただ当たり前の感想をその時に伝えるつもりだ。当たり前の……珍しく素直な、皮肉を含まない感想を、記憶も残らない肉じゃがに憧れを抱いている彼女にあげよう。
「でね、ママのホットケーキにはたっぷりのケチャップをかけるんだけどね、その話をすると全員ドン引きするんだけど、変なのかな?」
「…………あはは」
 それ絶対イチゴジャムの勘違いだと思うんだけど。幼かったまゆらの記憶違いから、どうやら『ホットケーキにかかっていた赤いもの』=『ケチャップ』で定着して今に至るのではないかと推測している。無意識に乾いた笑いがもれてしまう。心底シリアスになりきれない彼女の天然ボケを再確認。
「あ、ロキ君、ひどーい! ホットケーキにケチャップ、甘味と酸味の見事なコラボレーションなんだからぁ」
 いっつも大堂寺の家って変わってるって言われるけど、ほんとにおいしーんだからーっ。
 まゆらはなにやらジタジタとしはじめた。
「はいはい、おいしいおいしい」
 気乗りしなげに適当に相槌を打てば、今度はぶーとむくれるし。
 仕方なく、食卓テーブルに用意されていた……わさびは遠慮したかったので、残りのマヨネーズを肉じゃがに落とし込む。のだけれど。
「…………」
 意外にその取り合わせがおいしかったので、なにも言えなくなるのであった。