空の端を赤く焦がし、その輪郭を黄金色ににじませた太陽が山の向こう側に消えれば。
反対の空は、紺に紫に澄んだ夜の青に。
その中に浮かび上がった、または存在を控えめに主張し始めた小さな星達の輝き。
その下に大きく展開する、人の街。
濃いグレーのアスファルトも夜の中に沈み、等間隔に落ちる街灯が道標になっている。
高い塀の内側から漏れ出す家庭の明かりもどこかよそよそしく感じられ。
人の群れの中にいるのに、どこかさびしい、細い路地。
背後から時折、ぐずりとぐずる音が聞こえる。
力のない足音も続いている。
ロキは後ろを振り向かず、ただただスポットライトのように街灯が光を落としているその場所を、ひとつひとつ数えながら目指していた。
次の角まで、街灯はよっつ。
このままの状態で過ぎた街灯は……もう、二十二個。
子供と少女の手は。
ずっと繋がれている。
燕雀探偵社に持ち込まれた、ロキ管轄の事件。
それのケリがついたのは、夕日が落ちる寸前であった。
はじめから、どこか物悲しい事件の予感がしていた。
最後は、とても切ないものになってしまった。
まゆらはその一部始終を目にして、ぼろぼろと泣いた。
「かわいそうだよ……っ」
淡く儚く消え去った事件の元凶に対して、まゆらは泣いた。
そんな彼女に、ロキはなにも言わなかった。『仕方がない』とか『まゆらが泣くことじゃない』とか……『泣かないで』とも、言わなかった。
年端も行かない子供が泣くのは苦手だ。どうしたらいいのわからないから。
そう自覚しているロキであったが、まゆらが泣いているのは……実は、嫌いじゃなかった。泣くまゆらを見ているのは、実は――好きの部類に入っていたり、する。
それがどんな原因に――どんな感情に由来するのかは、まだ、わからないけど。
そんなこともあって、ロキはなにも言わなかった。かわりに、まゆらが泣きやむまでそばにいた。いつかのように頭を撫でてやった。
「ろきくん、ごめんね? わたし……泣いたりして」
事件の元凶と相対時していたのは、街外れの公園。ぐるりを囲んでいる木立がじわじわと闇に沈んでいくのと同じだけの時間をそこで過ごしたことになる。今は一番星どころか、幾つもの星が空で瞬いていた。
けれども、そんなものはなにひとつ、ロキには関係ないものに感じられて。
それでいて、散々に泣いて――子供のように泣いたのが恥ずかしくなってきて、ようやくまゆらから聞こえた言葉らしい言葉にも
「うん、大丈夫」
いっそ素っ気無いほどの言葉しか返さず。
でも
「ろきくん、やさしいね」
その気持ちが手の平から伝わったのなら――良い。
よっつの街灯も通り過ぎ、右に行けばまゆらの家に。左に行けば探偵事務所へと続く曲がり角。
「まゆら、お茶でも飲んでく?」
そこに来てはじめて後ろを振り返って、少女の顔を見上げれば。予想通りにその目は真っ赤になっていて。
頬に残る涙の跡が街灯の光ににじんでいる。
背後から差し込む街灯が、彼女の輪郭を淡く浮かび上がらせていて、幻のように綺麗だ。
なによりも父親思いのこの娘をこのまま返すのはどうだろう。
なにがあったと心配しあわてふためくだろうバカ親の存在を考えるに、きっと彼女も帰りづらいだろう。
せめて、その顔の腫れがおさまるくらいの時間をあげよう。
そう考えてのロキのお誘いだったけれど。
「……ううん、このまま……帰る」
案外としっかりした声色の、断りの言葉。
じゃぁ、送ってく。
そんな言葉もなく、ロキは自然に右へと足を向けた。
***
ここでいいよ。
そんな言葉を口にさせる隙間も与えないその自然さに、まゆらはうつむき加減だったその顔をほんの少しあげた。
自分とロキの間にある、繋がれた手が見えた。大人になりかけの自分の手と、子供の手が繋がっている。ひとつになっている。しっかりと結ばれている。それは、なんとも不思議なものだった。
その手からもう少し顔をあげて、先を歩く、自分よりもはるかに小さな黒衣の背中を見る。
物悲しい事件を解決した張本人なのに、その細い背中は少しも揺らいでいなかった。
彼よりもはるかに年上の自分がぐしぐしと泣きはらしたのに、彼は慰めてくれた。
……もしかしたら、彼は同じだけの悲しみを、痛みを、抱えているのかもしれない。
ふとそう思った。彼が、悲しみに対しても、痛みに対しても、辛らつで皮肉に構えているとは思い難かったので。
慣れっこになった――または、同じだけのものを乗り越えた背中は、こんなにも揺るがず、他者に対しても優しくあれるのかもしれない。
夜の風に揺れるブランコのようにゆらゆらと揺れて少しもとまらないわたしはなんて小さな人間なんだろう。
――いつか、彼を慰められる、そんな人間になれるだろうか。
今日の自分から未来の自分に向けて祈る。
忘れかけていた涙がひとつぶ、頬を滑り落ちるのを感じた。
***
ここでいいよ。
そんな言葉は聴きたくなくて、いっそ強引と言えるほどの自然さを装って右に曲がる。そして、先に口にした短い言葉を思い出す。
一人娘の帰りを待っている父親や、父親を心配させたくない娘を口実にしたけれど、どうやらそれは嘘らしい。
どうせ、家に帰ってもひとりで泣くのだ、この娘は。
そう考えると、家に帰すのが悔しくなる。
どうせ泣くのなら、ボクのところで泣けばいい。
でも、面と向かってそうは言えないから。繋いだ手に力を込める。
『好き』と『悔しい』の矛盾した感情の間で前に後ろに揺れる心は、まるでブランコ。
そんな色がでるのも嫌で無表情を装う顔なんて見られるくらいなら、どうしようもなく情けなくて弱い背中でも――見ていて。
ぼんやりとした色の門灯がついた大堂寺家までの街灯は、あとふたつ。
どちらが先に繋いだ手を離すのかは、ふたりにもわからない。
|