良い子の魔探偵 

− 前編 −






 その日は、朝からなんだか変だった。
「まゆらさん、レイヤ、お願いがあるですけど……」
 日曜日の、朝もはやい時間から、玲也とまゆらが燕雀探偵社に入り浸ってふたり並んでソファでお茶をしているのは別に変ではないけれど。
 玲也が、両手を胸元でにぎりしめて、その大きな目をうるうるとうるませているのも特段変ではないけれど。
 その声や目が『うるうる』と言うよりは『夢見るような熱っぽさ』をまとっているところなど、微妙に変だった。
 それがロキに向けられているのならいつものことなのでまだわかるものの、相手は同性である、まゆら。
「なぁに? レイヤちゃん」
 気軽に声をかけるまゆらも、普段の二割り増しに無邪気な様子で、
「レイヤ……レイヤ、まゆらさんのこと、おねぇさまって呼んでもいいですか?」
 なんて、玲也から唐突にねだられても
「うん、いいよv わたしもレイヤちゃんのこと、妹みたいに可愛いなぁって思ってたのvv」
 深く考えずに受け入れているところなどは、とっても変。
 いや、いつも通りか。
「まゆらおねぇさまっ」
「レイヤちゃんっ」
 なにもないのに感極まったように手を取り合い、名前を呼び合っては顔を寄せてうるうるしあっているところなどは、さすがに誰がどう考えても恐ろしく変。
「いいねぇ。女の子が仲良くしている光景は……」
 目を細めてふたりを眺めやり、そんな台詞を吐いているのは、いつもはクールな名探偵なのだが――今は単なるオヤジであった。
 けれども、変だ変だ恐ろしく変だと思いながらも定位置から眺めるその光景は、この世の春、眼福、の言葉が相応しいのだから仕方がない。
 うらうらとした午前の光も薫り高い紅茶もクッキーも揃っているとなれば、まさしく至福。これ以上は望むべくもない、平和な光景。ロキはしみじみとこの世の平和を噛みしめていた。
 そんなにも気が抜けた状態であったので、
「特にロキ様にとっては、好ましく思っている女性方が仲睦まじくされているのですから格別でしょうねぇ」
 闇野のなんともさらりとした言葉に、ロキは思わず手にした紅茶のカップをひっくり返しそうになった。
「あのねぇ、ヤミノ君。言うにこと欠いてなにをそんな……いや、完敗だよ、慧眼恐れ入る」
「いたみ入ります。なにせ、父上の息子ですからね♪」
「…………そだね」
 いつもと変わりない穏やかな笑みのまま、なんだかさらりさらりと言ってくれるじゃないか。そんな闇野もなんだか変であった。
 ロキと闇野のやりとりは小声であったし、まゆらと玲也は完全にふたりの世界にひたっていたので気づく様子もなかった。
「よぉ、ロキ」
 そんな、少しばかり変だが平和ではあったその部屋に、その平和を乱す声が響いた。誰だと問わずともわかる、鳴神少年だ。
 相も変わらず、学生の第一正装である学生服に、剥き身の木刀を手にしていた。剥き身の木刀所持は軽犯罪であるのだが、今日も今日とて気にしてはいないらしい。
 だが、いつもは
『エネルギー消費配分間違ってるんじゃない?』
 ロキが思わずツッコムほど無駄に元気な鳴神が、今日は妙に大人しかった。
「ナニ? ナルカミ君、しけた顔して」
 あからさまに嫌そうな顔を向けてのロキの言葉にも、鳴神は片手を振って応えるだけだ。
 まゆらと玲也の世界の反対側にあるソファにどっかりと座り、闇野が供した紅茶を飲む様子もいつもと違う。
 いや、彼は紅茶なんかよりも腹にたまるものの方が好みなのに、それの催促もないなんて――本当におかしすぎる。
「ホントに不景気な顔だねぇ、イヤになっちゃうな。いつものように、バイト、クビになったんでしょ?」
「んなんじゃねーよ」
 残りの紅茶を流し込みながらの普段と違う鳴神の言葉に、ロキはだんだん気持ちが悪くなってきた。首の後ろがもぞもぞすると言うか、座りが悪いと言うか。
 鳴神の反対側には花が咲き乱れる至福の楽園が展開しているのに、どうしてそちらの住人たちはボクを誘ってくれないのだろう。仕方がないから陰気な世界の住人の相手をしなくてはいけないではないか。
「気持ち悪いなぁ。なにかあったんなら話くらいは聞くよ? どうせ暇だし」
「どしたロキ? ぽんぽんでも痛いか? 相談に乗るなんてはじめて聞いた単語かもしれん、雨でも降らす気か? 勘弁してくれ、夕方からラーメン屋の出前のバイトなんだ」
「変なのはそっちデショ。それに、相談を受けるなんて言ってないし、人の言葉を都合よく曲解しない。じゃなくて、居心地悪いんだからさっさと吐く!」
 吐けと言われて、鳴神ははたと気がついたらしい。いつもの顔つきに急に戻ったかと思うとがばりと立ち上がり、
「そーだよ、お前、探偵やってんだよな。よし、この難事件、お前に任せた!」
「はぁ〜〜??」
 いきなりの展開に疑問符を挟む暇も与えず、鳴神少年はロキを拉致して風よりもはやく燕雀探偵社から走り去ってしまった。
「あぁっ大変です! ロキ様が誘拐されたっ!」
 ムンクの叫び真っ青に叫んでから、闇野は足元に転がっていた兄フェンリルを引っつかむと、ラグビーボールよろしく脇に抱えながら、ふたりを追いかけ始めた。
 楽園を作り出しているまゆらと玲也は、もちろんそんな男どもの行動に気がついているはずもないのであった。

   * * *

 ぎゅぁーッ! 人攫いーッ!!
 なんて言葉をあげさせない為か、鳴神は荷物かなにかのように小脇に抱えたままのロキの口を無意識にふさいでいる。助けを求める声をあげるどころか、ロキは今にも窒息死しそうであった。鳴神の腕をボカスカ叩いて抗議していたその手もすでに動かせはしなかった。
 なんとかロキが窒息死する前に辿り着いたのは
「な……なんだよ、もぅ! ナルカミ君の部屋じゃないかっ!!」
 ロキの屋敷とは雲泥の差の、ぼろぼろなボロアパートの一室であった。
 隙間風吹き込む、畳敷きの四畳一間。これでも鳴神のお城。
 ずぼらな男所帯であるので、部屋の隅と言わずちゃぶ台の上と言わず、いろいろなものがあふれて大変な状態だ。
 これが元々はなにもないまっさらな部屋として鳴神少年に提供されたなどと誰が信じるだろう。今は片鱗もない、家具類すらなかった入居状態に思考を飛ばしてしまうロキであった。
「相変わらずきったないの。こんなトコで生活できるなんて、キミの神経を疑うよ、まったく」
 かろうじて『ひとり分の足の踏み場』を確保してからのロキの言葉に
「ごーかいでいいだろう!」
 なんて無駄に開き直る鳴神の様子は、すっかりといつも通りだった。
「それで? キミみたいなノーテンキなヤツの身の上に降りかかった難事件って、なに?」
 あーもーなんかヤだなぁ、さっさとその『難事件』とやらを一刀両断にして楽園に帰ろう。
 そんなイヤイヤ気分が全身からあふれ出ているロキの様子などまったく気にもせず、鳴神は出入り口付近にある小部屋を指差した。
 そこには、小さなドアノブがついた、クリーム色の簡易扉が一枚。
「ロキ、オレに降りかかった難事件はあそこに潜んでいる。それはそれは難しい怪事件だ。もう一週間も悩まされ続けている」
「へぇ? 一週間もかかって解決できないって、ゴキブリでも繁殖してるの? それでもキミ、カミサマ?」
 なぁぁぁぁんか嫌な予感がする。
 普段通りの容赦ない憎たれ口をたたきながらも、その小部屋から無意識に後ずさりつつロキは口を引き攣らせていた。
 と言っても、狭い部屋な上に、男の一人暮らしの見本みたいな部屋であるので、後退しても逃げ場は少ない。
「その怪事件とはなぁぁんっと! 便器の排水溝が何度も詰まるって怪事件なのだぁ!!」
 ババーン! との、どこからかの効果音までつけられて開放された扉の向こう側は、紛れもない洋式トイレの小部屋であった。便器の上に貯水タンクが乗っている、どこからどう見てもなんの変哲もないトイレだ。
「ふざけるなぁぁっ! トイレの詰まりくらい自分で直せぇぇぇっ!」
「いや、だから詰まりなんざ自力で直すけど、これが毎日毎日なんだ。それに、詰まり以前に水量もおかしいし……」
 鳴神少年に似合わない、トイレの小部屋に貼られたピンクの花柄の壁紙が嫌過ぎる。誰だこのアパートの壁紙をセレクトしたヤツは。
 思わず全力で目をそらしたくなったロキではあったが、真剣に悩んでいるらしい鳴神の様子にほだされた。
 否、イヤイヤやっているよりもさっさと解決した方が、最終的にははやく終わることもあるのだと知っているからだ。イヤイヤやって時間を潰しても、きっと鳴神君は帰してくれない。怒鳴り返してこないで静かに状況説明をするところも真剣にトイレを見つめている横顔も、やっぱり鳴神らしくなくて気持ち悪くて変だし。
「……水量がおかしいって?」
「そーなんだ。なんか一週間ほど前からやたらと水量が減って、そんでもって」
「……詰まるってわけ、ネ」
 仏頂面を通り越して完全な無表情になったロキは、イヤイヤながらもトイレの小部屋へと足を踏み入れた。
 そして、おもむろに手を伸ばし、貯水タンクの上蓋を動かす。
「原因はこれだよ。水の節約の為に入れたペットボトル」
 ロキの推理通り、そこには、砂を詰めた二リットルと五百ミリリットルのペットボトルが二本ずつ、ぎゅうぎゅうになって沈んでいた。
 洋式トイレの貯水タンクは、満タンまで貯水しないと給水がとまらない。よって、中に水や砂などを入れたペットボトルを沈めて体積を誤魔化す節約は基本中の基本だ。
「洋式トイレの水量は、だいたい八リットル。でも、一人暮らしなんだったら、水道の基本料金内じゃないの? キミ、学校もバイトも行ってるんだから、こんな節約して配水管詰まらせるトラブル起こす必要性感じない。まぁ、水を大切にしようって気持ちは買うけど、あんまりにもやり過ぎじゃない?」
 へー、八リットルも流してるのかー知らんかったー。そーだよな、ここ、風呂もないし、基本料金内だよな。ロキがオレに賛同するなんてここ三百年なかったよーな。
 鳴神は説明のたびに感心していたが、
「でもオレ、こんな節約方法も知らんかったぞ?」
 と言われて、ロキは目が点になった。
 では、この節約方法をこのトイレに施したのは……一体ダレ?
 それに、鳴神が以前言っていなかっただろうか。『オレの部屋は風呂なし、トイレも共同の四畳一間』だと。
 なんだか微妙に変ではあったが、ゴミ溜め状態のその部屋や、もちろんトイレにも長居したくなくて、ロキはそそくさと鳴神のアパートを後にした。
 もう、トイレになんか連れ込んだ仕返しをする気力もないロキなのであった。





シリアス風味の中編の後がトイレ話・・・(遠い目)。