良い子の魔探偵 

− 後編 −






「あぁロキ様! よくぞご無事で!」
 まるで鳴神少年を『全国指名手配中の凶悪連続殺人鬼』か、はたまたロキを雨に打たれて震える捨て猫よりか弱い存在扱いの言葉と一緒にロキを発見したのは、黒い犬を小脇に抱えたままの闇野であった。
 フェンリルは犬としての価値すらも認めてもらっていないのだろうか。それ以前に、そうであるのならば何故闇野はフェンリルまでも連れて来ているのだろうか、走り辛いだろうに。もしかしたら、単なる習慣かもしれない。
『いや、もうそんな微妙な違和感どうでもいいや。はやく家に帰りたい』
 ロキは完全に思考を停止していた。自他共に認める頭脳派のロキにとって、致命的な状態であるのだと気がついてもいない。
「ヤミノ君、ボクは一秒でもはやく家に帰る。そしてあっついお風呂に入るんだ。熱湯消毒でもしないとやってらんないよ」
「おやロキ様、熱湯消毒より煮沸消毒の方が殺菌力高いですよ? 庭にドラム缶でもご用意しましょうか?」
「あのねぇ、ヤミノ君、ボクを煮込んでどうするの。って言うか、うちにドラム缶なんてどうしてあるの……」
 なんだろう、今日のヤミノ君はやっぱりおかしい。いくらボクとの付き合いが長いと言っても、ここまで話に乗ってくるなんていつもはないのに?
 ロキは首をかしげながら――もちろん『煮沸消毒は願い下げ』と断りを入れるのも忘れずに――懐かしの、楽園を内に展開させた洋館へと戻ってきた。
 だが、その『楽園』であるはずの燕雀探偵社の書斎には、ソファによよよと泣き崩れる玲也しかおらず、
「ろきさま〜〜ろきさま〜〜ぐすぐすっひっくひっく……」
 まったく話にならない状態で。
「ど……どうしたのレイヤ、大丈夫? 泣かなくていいから……」
「ふぇぇぇぇん」
 玲也とふたりでバラ色の世界を作り上げていたはずのまゆらもいない。
「まゆらとケンカでもした??」
 まさかそんなねぇ、と思いつつ問いかけてみれば、玲也は涙をふりまく勢いで顔を横にふった。まゆらと玲也に限ってケンカなんて有り得ないとはわかっていながらも、妙にほっとするのはどうしてだろう。
 だとしたら、玲也が泣くのは、なにが原因?
「まゆら……ひっく……おねぇさまが……っ」
「まゆらがどうしたの?」
 な〜〜んか嫌な予感がする。どうして今日は次々と変なことが起きるのだろう。
「まゆらおねぇさま……マントを着た変な人に連れてかれちゃったんですぅ」
 ……マントを着た変な人?
 そんな人物など、たったひとりしかいない。
「…………あんのバカフレイが原因か!!」
 ロキは、玲也を闇野とフェンリルに預けると、燕雀探偵社を飛び出した。
 闇野は
『知らぬとは言え、実の妹に『変な人』扱いされている豊穣神……おいたわしや』
 と思わないでもない。
……珍しい同情であった。

   * * *

 探偵社を飛び出したはいいものの、さて、フレイはどこに行ったのだろう。あの怪盗バカにしては珍しく、予告状や書き置きなどが部屋のどこにも見当たらなかったとしっかりと確認済みのロキであった。
 中にないのなら外にあるはずだ。目立ちたがりのフレイの仕業であるのなら、誘導看板でも道々にあるのではないか。
 そう考えて外に出てみたのに、それらしきものはひとつもない。とても変だ。
「もしかして、見当違いか?」
 まゆらを攫ってもおかしくない人物にもうひとり心当たりがないわけでもないけれど、マントなんてあからさまなミスリードを狙ってくるとも思えない。
 それにロキにとって、フレイとヘイムダルはピンではなく、あくまでコンビ芸人扱いなのだし。どちらかの思惑なんて、一蓮托生状態で責任を取らせてやるつもりである。
「変だなぁ……ホントーになんにもないぞ」
 仕方ない、フレイとヘイムダルの根城から確認していくか、とロキが方針を決めた時、道の向こうからぷよんとした姿がこちらへと向かってくるのを発見した。
「あ、えっちゃ……」
 屋敷にいる式神の姿を遠くに認めてその名を呼ぼうとしたものの、ロキは途中で凍りついた。
 ぷよんとしてふにふにとした外見に似合った、ふよふよ空を泳ぐように進むえっちゃんが、今日は猛烈な勢いでこちらに向かっていたからだ。
「……こんなはやく飛べるんだ、えっちゃん」
 言い終わる前にはもう頭の上に着地しているえっちゃんのスピードは、普段の式神の様子を知っているだけに、やっぱり……変だ。
 えっちゃんは、おのれがどれだけロキを驚かせたかも知らぬ顔で、ロキの頭上から道の向こうを指す。
「ろきたま、あっち、あっち」
 ふるふると震えて告げるのは、ロキへの道先案内。
「もしかしてえっちゃん、まゆらたちの後を追いかけてくれていたの?」
 頭上でえっちゃんがコクコクと頷いた。どうやらこのあたりはいつものえっちゃんらしく、とってもお役立ちだ。
 ロキは式神が指差す方へと走り出す。
 なんだかんだとしていて、いつの間にか夕暮れが間近だ。陽が落ちてしまえば、いくら街灯があったとしても捜索は難しくなる。
 焦る気持ちを抑えつつ、ロキは道を走るのだが……
「それでどうして、道を曲がったら東京タワーがあるんだ!」
 角を曲がったすぐそこに、赤と白に塗り分けられた東京のシンボルが聳え立っていて、ロキはへなへなと萎えた。道路にへたりと座り込んで、思わずアスファルトの上を這う蟻の列なんて見つめてしまう。
 もう、『変』を通り越して――『有り得ない!』だ。この世界はどうなっちゃったんだ!
 いや、もしかしてこれが噂に聞くラグナロクか?! 世界の崩壊か?!
 今度はロキが壊れる番だ。
「ろきたま、あっち、あっち」
 ひとり『神々の黄昏』を味わっていたロキの気をひいたのは、やっぱりそのあたりはお役立ちなえっちゃんだ。
 式神の声に導かれて顔をあげたロキが見つけたのは、東京タワーの鉄骨から不自然に伸びた、紅白の横縞に塗られた謎の梯子。
 普通の東京タワーであるなら、エレベーターで大展望台にあがらなければならないものだが、この東京タワーは地上から直接上へとのぼれるようになっているらしい。
「そんなわけあるかっ」
 東京タワーの維持者でもない者がほいほいのぼれる構造であるはずがない。
 そして、その梯子の途中には……
「フレイとまゆら」
 もはや魂が抜けた言葉しか出てこない。
 梯子をのぼっているマント男と、その腕に抱えられている女子高生の姿が見える。まるでその様子は、エンパイアステートビルの頂上を目指すキング・コングと捕われのアン・ダロウ。
 ロキは梯子のたもとでしばし呆然とふたりの姿を見上げていたが、大きなため息をひとつつくと、はじめの一段目に足をかけたのであった。

   * * *

 東京タワーの全長は、三百三十三メートル。
 ウェディングケーキで例えるなら、一段目にあたる大展望台まで百五十メートル。
 二段目の特別展望台までは二百五十メートルもある。
 ちなみに、東京タワーが開業されたのは昭和三十三年。
 巨大鉄塔四兄弟の末っ子にあたり、長男は名古屋テレビ塔、次男は通天閣、三男はさっぽろテレビ塔。
 鉄骨には、米軍払い下げの戦車が使われている。
 東京タワーの赤色は、実は赤ではなく『インターナショナル・オレンジ』と呼ばれる色で、航空法で定められた色だ。
 正式名称は、なんと『日本電波塔』
「だからなんだってんだっ」
 無心に梯子をのぼっているつもりが、そんなどうでもいいおばぁちゃんの豆知識を思い出していたロキであった。
 視線を梯子の先にやれば、もう少しで大展望台の天井部分に出るらしいキング・コング――もとい、フレイの姿がある。どうやら無事にのぼりきれたらしい。
 ついで、梯子の反対側へと視線をやる。一段目まで百五十メートルと言っても、水平な百五十メートルと垂直な百五十メートルはまったく別次元の印象だ。翼もない、確かなものは握りしめた梯子ひとつの身にとっては、なかなかに怖い光景であった。
 一段、一段とのぼっていると、段々と腹が立ってきた。
 フレイのくせになにオオゴトにしてるんだあんのバ怪盗がっ。
 突風が吹いて、頭にしがみついていたえっちゃんが物凄いはやさで流されて行き、
「ろきたま〜〜〜〜〜ぁ」
 沈み行こうとしている夕陽に溶け込んでその小さな姿が見えなくなり――ロキはとうとう――『キレた』


「やや、しまったのだ! せっかく大和撫子と一緒に『東京タワーから夕陽を眺めるの会』を催そうと思っていたのに、もうおねむの時間であったのかっ」
 東京タワー第一展望台の屋上部分に辿り着いたのは、言動とは裏腹にどこか気品の漂う男であった。ただし、やっていることと、いつでもどこでも宝塚状態の派手な衣装とマントを見ると、その気品などなんの意味もないと思われているなどと彼は気がついていない。これでも、あるべき場所に戻れば高位の豊穣神と呼ばれる男であった。
 さすがのまゆらもフレイの行動には、まっとうなヒロインの対応しかできなかったらしい。完全に意識を飛ばしてしまったようだ。無理もない。
「健康には早寝早起きが推奨なのだ、うむ」
 フレイは勝手に気絶の原因を納得していた。
「それでは仕方がないのだ。大和撫子はフレイのスペアマントを布団にして眠っているとイイのだぞい」
 どこからともなく『マントのスペア』なぞを取り出してまゆらをくるむと、安全な場所に寝かせるフレイ。
『なんて紳士的なのだろう』と賞賛を贈る前の行為の数々を思い出せば、あまり褒められた人物ではなかった。
「寝顔もかわいいのだーv」
 なんてフレイはひとりで盛り上がっている。とことんと賞賛からは程遠くなっていく。
 そこに響き渡る、有り得ない人物の、冷たい声。
「悪いけどフレイ、まゆらの寝顔を勝手に見るのはやめてくれる?」
 はっと振り返ったフレイの視線の先には、追いついたロキの姿があった。百五十メートルの梯子をのぼってきたなどと微塵も感じさせない余裕綽々の態度で、夕陽を背にして立っていた。
 黒衣の裾をひるがえす風さえも軽やかに彼を引き立たせていて、まるで作り込んだ演出のよう。白鳥は水面下の必死さを表に出さない為にはどんなポーカーフェイスもやり通す努力家であり演出家なのである。
 フレイはその姿を、眩しいのとは違った意味合いで目を細めてにらみつけた。夕陽を背に背負うなど、主人公の特権のようでなんとも悔しいではないか。考えていることはとことん低レベルだ。
「なんなのだロキっ。大和撫子の寝顔はロキのものでもないぞ」
 だからと言ってフレイのものでもないだろう。
 なんて、不毛な言葉のやりとりは虚しいだけなので口が裂けても言わないロキではあったが、かわりに、その手にレイヴァテインを呼び出した。
 沈み行こうとしている太陽の光を弾き、月色の魔杖が輝く。
 そして、問答無用で――フレイに切り込む!
「子供の動きなど見切れるのだ!」
 と見せかけて、切り込んだ勢いで背側に回り込み、直後に反転して、東京タワーの大展望台上からフレイを勢い良く突き落とした。足蹴りをその背中にお見舞いしたのだ。
 おのれロキ〜〜〜………
 フレイの悲鳴が、百五十メートルの奈落へと吸い込まれていった。きらり、と一瞬鋭く瞬いて、その姿は消え去った。
「ヒトのモノを勝手にとっちゃいけませんって、ママに教えてもらわなかったの? フレイ坊や」
 ロキは展望台天井の縁に片足をかけ、地上を見下ろしながらフレイにたむけの言葉を贈ったが、フレイがその言葉を聞くことはない。まさしく『邪神』な微笑みも見ることはなかった。
『だからってお前のものでもないだろう』とのツッコミを入れる者もいなかった。
 西の空には真っ赤な夕陽が滲み、街の向こうへと消えていこうとするのであった。

   * * *

「……って、なにソレ、夢オチ?!」
 ちぃっちぃちぃちぃちぃ。
 ピーピーピチュピチュピチュ。
 クルッポー。クルッポー。クルッポー。
 燕雀探偵社の庭には緑が多い。天気が良い日の朝など、鳥のさえずりがうるさいほどだ。それでベッドの中でも『今日は晴れなのだな』とわかるほどであったが、今朝ばかりはそんな優雅な感想を抱くわけにはいかなかった。
 原因は、今の今まで見ていた、変な夢の内容。
 おのれの体温でぬくぬくとした布団の感触の方が『信じられない』心地だ。
「なんだよモゥ、ものすっごい疲れた……」
 なんて変な夢を見たのだろうボク。と考えてみれば、昨日目を通した本のタイトルが脳裏にずらりと浮かぶ。
 まゆらが押し付けていった、寄宿舎のある女子学園が舞台になっているライト・ノベル。
 雑学と節約術がミックスされた、雑学本。
 そして、映画『キング・コング』のノベライズ。
 ロキは、脳裏でそれらの本をぺいっとゴミ箱に放り込んだ。
「古典文学から幅を広げてみる、も弊害だらけだ」
 しばらくは大人しく古典文学を読み直しておこう、と心に決めた。
「あんまりにも疲れたから二度寝しよ。今日は完全オフ」
 誰気兼ねない不登校児もとい自営業の身分であるので自分勝手にベッドに再度もぐりこんでみるが、まれにみるぽかぽか陽気に浮かれた鳥たちがうるさくて寝てもいられない。仕方なく、寝ぼけた意識のままで起き上がり、しぶしぶと着替えをはじめる。
 そんな時に。
「おはよー、ロキ君! 今日はすっごーくいい天気よ!」
「おはようございます、ロキ様。今日は絶好のピクニック日和ですぅ」
「うっわぁ! なんでキミタチ、こここここんなところにッ!!」
 パジャマから私服へと着替えている途中にノックもなしに顔を出したのは、まゆらと玲也だ。思わず、腕を通しかけていたブラウスの前身ごろをあわててかきあわせてしまう。
 ふたりの後ろには、闇野が苦笑いをして立っていた。どうやら、ふたりを止め切れなかったらしい。
「きゃっ。ロキ君のナマ着替えっ」
「ロキ様、お肌の色が白いですねぇ」
 ちょぉぉぉっとキミタチ、しっかり見たのねぇぇぇっ。
 きゃぁきゃぁとなんとも楽しげに笑い声をたてるふたり組みに、ロキは声にならない悲鳴をあげるしかない。
 なんなんだ、一体。ボクは夢から覚めたんじゃないの?!
「ロキ君、結構服持ちだから、コーディネイト大会なんてやったら面白そうね♪」
「ロキ様、なに着ても似合うですけど、面白そうですぅ」
「いやだからね、勝手にヒトを着せ替え人形にしないでくれる?」
 夢とうつつが混じり合った心地で動転及びげんなりとしているロキの耳に、もうひとつ声が聞こえた。
「おーすっ、ロキー。難事件発生なんだ、ちょっと顔貸してくれよー」
 玄関から張り上げているらしい、鳴神の声だ。
「えぇぇぇっ。今日はロキ君たちとレイヤちゃんとデートがしたいのにぃぃぃぃっ」
「ロキ様とまゆらさんと闇野さんとワンちゃんとピクニックに行きましょうって、レイヤ、はりきってオベントつくったですよぉ」
 朝から仲良しふたり組みが、階下へ向けてぶーぶーとブーイングを鳴らす。
「キミタチね。モテモテなのは嬉しいけど……ヒトの意向とか、予定とか聞きなさいネ?」
 寸の前まで『二度寝』『完全オフ』なんぞと言っていたのは棚上げである。
 ブーイングだけではラチがあかないと考えたのか、弱々しいロキのツッコミなどかけらほども聞かず、ふたり組みは結託して階下へと向かって行った。
 後には、なんとも言えない表情の闇野が残されて
「好ましく思っている女性方が仲睦まじく結託されているなんて、さすが父上ですね」
 似ている台詞なんかを贈られるところまで、まだ夢を見ている心地。
「ボクは胡蝶の夢を見ているのだろうか……それとも、アレは予知夢?」
 ロキの心からの呟きは、明るい朝の光に溶けて消えていく。
 ボクが夢から覚めるのは一体いつになるのやら。
 どうせこの世は夢舞台、とロキは窓の外に広がる蒼穹を仰いで諦めるのであった。
 ただひとつ、どうしても解決したい謎は……
「ナルカミ君のトイレに、あの執拗な節約術を細工したのって……」
 誰なんだろう?





本に関しては雑食のロキ様でした。