共同戦線異常あり 

【 1 】






 まだ、ぼんやりとした光としか認識できないだろうに。
 その子供の黒目は命の輝きに満ち。
 その子供の白目は透明に澄んで。
 すべてを見通していた。

 まだおのれで勝ち取ったものなどなにひとつないくせに。
 その子供の小さな両手にはたくさんのモノが掴まれていた。

 心が洗われたと、感じた。

   * * *

「たまには遠出もいいものですねぇ」
「そうだネ。こんなにも緑の多い公園があったなんて知らなかったし」
「その分、ヒトも犬も多いけど、まぁいいか」
 のんびりのんびりと歩きつつ、のんびりのんびりそんな感想を言い合っているのは、背の高い若い男と、黒衣の子供と、黒い犬だった。
 ちなみに、最後の黒い犬の発言は、ふたりの耳にしか人語では届いていないので、公園に訪れている普通の人々がぎょっとして振り返ったりはしなかった。
 黒衣の子供――知る人ぞ知る、燕雀探偵社の所長であるロキは、ぽかぽかとあたたかい陽射しに満ち満ちた公園を眺めやる。
 緑が多く、遊歩道も整備され、そこここには木のベンチが設置されていた。
 さり気なく季節の花も植えられ、午前の穏やかな光を葉の隅々まで浴び、そよぐ風に花びらを震わせている。
 若い父親と子供がキャッチボールをしたり、大型犬が三頭戯れあっていても、誰も気にしないで済むだけの広さも良い。
 もう少し足を伸ばせば、噴水や時計塔もある。
 なによりも、無粋な落書きや溢れかえったゴミ箱なども見当たらない。なんとも気持ちが良い公園であった。
 刺激に乏しく、退屈ではあるけれど、こんな日常にも慣れっこになってしまったし、これはこれで心地が良い、とロキは最近思うのだ。
「歩き詰めでノドが渇いたね」
「ロキ様、なにか買ってきましょうか? ちょうどお店もありますし……」
「弟よ、クレープクレープクレープがイイっ」
「兄さんはクレープですね」
 ロキからのリクエストを承った闇野は、ゆったりとした歩調で移動店舗へと向かう。こんな日にせかせかする必要はまったくない。
 ロキも、近くにあるベンチにフェンリルと並んで腰掛け、目を閉じてぽかぽかとあたたかい陽射しを享受している。なんとも穏やかな時間であった。
 そんな父親と兄の平和な光景を微笑みを浮かべながら確認し、闇野は店舗のスタッフへと声をかけた。
「すみません、クレープひとつと……」
「らっしゃい! クレープなら、新発売の納豆クレープがおすすめ……って、なんだメガネじゃないか」
「鳴神さん、こんなところでもバイトですか……おつかれさまです……」
 ぽかぽかとした陽射し、緩やかで穏やかな時間。それが、この店に近づいたのをきっかけに、がらがらと崩れ去るのを感じた。
 何故ならば、その黄色く塗られた移動カーの店舗から顔を出したのが、燕雀探偵社に入り浸る鳴神――もとい、北欧の雷神トールであったからだ。
 今日も今日とて、一張羅の学生服の上に似合わない黄色いエプロンをして、接客用スマイルで朗らかに笑っている。
 闇野は彼が心底苦手――否、恐ろしかった。鳴神少年は闇野の、まさしく『天敵』なのだから。それも、なんとも一方的な『天敵』
「お、あそこに見えるはロキとわんころじゃないか。よーし、唐辛子刻みねぎすぺさる納豆クレープ作ってやるから、ちょっと待ってな!」
「いえ、クレープはにいさ……いえ、うちのわんこが食べるので、ねぎはちょっと……」
 ここにロキがいたならば
『犬にねぎやニラを食べさせるのは厳禁! アリルプロピルジスフィドが赤血球を破壊するので貧血を起こす。最悪死んでしまう』
 おばぁちゃんの豆知識を鳴神に披露してくれるだろうが、フェンリルは犬ではなく狼であるし、根本的にクレープに納豆、及び唐辛子や刻みねぎはどうだとツッコミが入っただろう。
 悲しいかな、ロキはぽかぽかと日向ぼっこ中であったので、闇野の精神的苦行には気がついていない。
「って、あれ? あそこから来るの、フレイじゃないか? なんだ? なんか持ってるぞ?」
 鳴神が右手でひさしを作りながら目を細めた方向から、ぽかぽか陽気の中で見るには暑苦しい盛装にたっぷりとした豪奢なマントをまとった男が歩いてくるのが見えた。
 その彼は、なにやら大きな物体を両手で持っている。ピンク色のふわふわした小さな服に、白い帽子らしきものが認識できた。
「持ってって……あれは赤ん坊ですかねぇ? ……って、おかしくないですか??」
 揃いも揃って一拍ずれてその物体がなにかを判別した闇野と鳴神は、すぐには次の句が繋げなかった。
 先にその異常事態に我に返ったのは、自称・正義の味方の方であった。
「もしやフレイのヤツ、あの赤ん坊誘拐したんじゃ?!」
 誘拐なんざこのオレが許さーん! と一声吼えたかと思うと、鳴神は移動店舗から飛び出した。その手には、彼の相棒『ミョルニル』と名付けられた変哲もない木刀が一本、しっかりと握られている。
 さすがにその騒ぎにロキも気がついたらしく、ぱっちりと両目を開けて鳴神の目指す方向を見やっていた。
 フェンリルもあんぐりと口を開け、その妙な光景をまじまじと見つめている。
「やいやい、フレイ! 誘拐なんざ真正の悪党がすることだ! お天道様が許してもこのオレが許さんッ!」
 ざしゅっとスニーカーの底をするようにしてフレイの前に立ちふさがった鳴神は、きりっとした表情で木刀を構えて吼えた。
 そんな、百パーセント正義の味方モードの鳴神に、フレイは『はぁ?』と間抜けな返答をするしかできない。
「なにを言っているのだトール神。まさしく『ヤブカラボウ』にとはこのことだな」
 のほほんのほほんと気の抜けた言葉を吐いている様子など、悪行をつまびらかにされた罪悪感も焦りすらも感じさせないものであった。
「じゃぁ、その赤ん坊は誰のだ? まさかお前の子供?!」
「え?! だって、まだフレイさんがこちらに来てそんなに日数経ってないですよっ」
 フレイはともかく子供を鳴神の勢いに巻き込むのは危ないと、闇野が駆けつけながらも微妙なツッコミを入れた。あわて過ぎて、自分の正体がばれそうな発言を口走っている自覚もないくらいであった。
 フレイが抱っこしていたピンクのベビー服の子供は、首もとうに座っていた。一歳くらいだろうか。まるまるとしてぷにぷにした両手をしっかりと握りしめ、男どもの騒ぎなど知らずにすやすやと眠っていた。
 闇野は怪盗事件からの月日を指折り数えてみるが、どう考えても日数が足りないのはあきらかであった。
「う〜ん、フレイ、ボクよりやるじゃない?」
「はぁッロキ様、なに言ってるんですかッ!!」
 突然足元から聞こえた少年の声に闇野は血相変えて周囲を伺うが、見るからに怪しい男どもになんぞ誰が近づきたいものか。誰もが遠巻きにしていた。
 闇野の心配など気がつくはずもなく、ロキはにやにやと笑っていた。
「それにその子、なかなかの美人サンだし?」
「悔しいけど、かわいいじゃねぇか。肌なんか真っ白だし」
「柔らかそうなほっぺたですねぇ。フレイさんの子供さんだと考えるとなんですけど……」
「いや、でもホラ、フレイの妹のフレイヤは見た目は『美の女神』そのものだし、その姪っ子と考えるとこれはこれで当たり前の事象かも……」
「なにを言ってるのだ? この子はフレイの子供などではなくて、東山香澄ちゃんなのだが?」
「へー、ヒガシヤマカスミちゃんかぁ。名前もかわいいなー。でも、どこかで聞いた気がするんだけど……」
「ロキもか? オレもだ。なーんかよく知ってる気が……」
「私も覚えがあります。と言いますか、はっきりと心当たりが……」
「ヘムのことだろう? 東山和実。そう言うのを『健忘症』と言うのだぞい」
「そーそー、ヒガシヤマカズミ。へぇ、一文字違い? ちょっとかわいそうかも。キミはまっとうに生きるんだよー」
「ヘムって反面教師がいるんだから大丈夫だろ?」
「いえ、ロキ様も鳴神さんも、ツッコミどころはそこじゃぁない気がするのですが……」
 恐る恐るの闇野の言葉に、ロキはこてんと首をかしげた。今更ながらなにかに気がついた様子である。
「って、え? 一文字違い? じゃぁ、この子、ヘイムダルの子供?」
「ロキ、お前、すっかり負けてんじゃん。神界のプレイボーイの異称は返上したら? へー、あのヘムがねぇ。だったら、母親が別嬪さんなんだろうなぁ。あいつ、面食いだったっけ?」
「だからお前たち、さっきからごちゃごちゃとなにを言ってるのだ? カスミちゃんが起きてしまうではないか。泣く子と地頭には勝てないって言葉を知らんのか?」
「そうだお前ら、僕の従姉妹をネタになに好き勝手言ってやがるんだ!」
「ぎゃぁっ! ヘイムダル?!」
 一斉に視線を集めたそこには、伸ばした前髪で巧妙に右目を隠した、子供。北欧の神のひとり、虹の橋ビフレストの門番ヘイムダル。先の会話でさんざん名前を連呼されていた『東山和実』は、彼の仮の名前だ。
 話に夢中で、ヘイムダルがすぐ傍に来ていると気がつかなかったロキと鳴神が大声で叫んだ。フレイまでもが、驚きすぎて両手を高々とあげてしまう。
「わ、バカ! 赤ん坊がっ!」
 その一言で、男どもは叫びも動きも、呼吸すらも止めてしまった。
 フレイまでもが同じ行動をとったので、不安定にあげたままの両手から赤ん坊が落ちそうになったが、先にヘイムダルの接近に気がついていた闇野がなんとか赤ん坊をキャッチした。
 抱き手がかわった為に赤ん坊は一瞬ぐずったが、すぐになにごともなく眠りについたようだ。
 その安らかな寝息を合図に、ようやっと男どもは呼吸を再開し、揃って大きく安堵の息を吐いた。
「ふぁぁぁぁっびっくりしたのだぁ。カスミちゃんはかわいいが、泣くと恐ろしいからなぁ。コラっヘイムダル、カスミちゃんを驚かせてはいけないのだぞい」
「なに責任転嫁してんだ、お前はっ。そもそも、カスミの散歩は任せとけとか大見得切ったくせにこんなところでロキ一派に絡まれてるなんてどうなってんだ!」
「オレはロキ一派じゃないっ」
 鳴神ががなるが、そんなものは綺麗に黙殺された。ヘイムダルにとって鳴神は常に『ものの数』に入っていないのだ。
「ヘムが買い物大変そうだったからお手伝いと思って言ってあげたのに、逆切れとはフレイは悲しいのだ」
「うっ」
 フレイは時折ひどく正論を吐くので、ヘイムダルも言葉に詰まるしかない。確かに、今のヘイムダルの両手はオムツや大量のベビーフードで塞がっていたからだ。
「いや、悪かったよ。すまん。……って、だからと言って、カスミを落としかけたのは別問題だっ」
「いやぁ、やっぱり従姉妹じゃなくて我が子だろう? この過保護っぽさはサ」
「ロキ絶対殺すっ!」
 ヘイムダルがキレて叫ぶと、再び赤ん坊が身じろぎした。再度ストップがかかった男どもは、たっぷりと一分間凍りついた。
 こんなにも騒がしいのに一度も目を覚まさないところなど実はとてつもなく強い子なのかもしれない、とロキは凍りついた間に考えていたりした。
 一分間にも及ぶフリーズ・タイムが怒りを鎮めたのか、ヘイムダルが小声で話しだした。
「従姉妹なのはホントなんだよ。東山んちの、一番下の弟の娘。今は僕が預かってるけど。これでも、こいつの母親には信用されてるんだからな。誘拐してきたんじゃないぞ?」
「へー。東山と言えば、あのお騒がせな教授の、弟」
 東山教授の遺産をめぐる事件に巻き込まれた記憶は、そう簡単には消えやしない。
「カスミの父親は、兄弟中で一番まっとうなシャカイジンなんだから、あんまり勘ぐるなよ。それに……こいつだって、こんなにちっこいのにイロイロ大変なんだ」
「ヘイムダル……?」
「のらりくらりとお気楽に暮らしてる、ぐーたらなどこかの誰かさんよりかはよっぽど大変なんだからな……」
 どこか事情のありそうなヘイムダルの表情や訳知り顔のフレイの様子に、ロキはそれ以上混ぜっ返す気にはならなかった。
 ただ、赤ん坊だけがすやすやと眠り続け、公園は場違いなほど穏やかなのであった。




逆ハーレム開催中(笑)。