共同戦線異常あり 

【 4 】






 ところが、和臣氏の事件は急展開してしまう。
 それは、警察に届いた、一個の宅配荷物がきっかけであった。
 中には、和臣氏の会社の裏帳簿コピー・データー。
 和臣氏の会社は、和臣氏勤務の支店を拠点にして、億単位の脱税をしていたのだ。
「勇気ある告発者になろうとして、それで監禁されてたってワケだ」
 取り下げられたと言っても、一時は捜索願も出ていた人物が所属していた会社の裏帳簿だ。警察もなんらかの犯罪を念頭に置き捜査を再開した結果、和臣氏は二日後には保護されていた。なんと、自宅近くのアパートの一室に閉じ込められていたのだ。
 ロキは、そのあたりの事情を、新山警部の独り言第二弾と、新聞に載った小さな記事から推測したのであった。
「たいした怪我もなくて良かったですねぇ。それにしても、どうして和臣さんは日付指定の宅配便で荷物を送ったのでしょう? すぐに警察に届けていれば、監禁なんてされなかったでしょうに。不思議ですねぇ」
 裏帳簿をおさめた小さな荷物は、十日も前にコンビニエンス・ストアから宅配業者に預けられていた。バス停近くにあったコンビニエンス・ストアと宅配業者に伝票が残っていたのだ。差出人の名前は偽名であったが、あきらかに和臣氏の筆跡であったらしい。
 そして、その姿を映した防犯ビデオの隅にいた、店の外で彼の挙動を見張っていた同僚。その同僚は、和臣氏監禁の件で真っ先に身柄を取り押さえられたのであった。
「きっと、子供のはじめての誕生日をきちんと祝ってやりたかったんだろうね」
「あぁ、そうですか。そうですよね。なにせ、この世に生まれてはじめての『誕生日』だったんですから」
 闇野は、ロキの回答にうんうんと頷いた。子供を想う親、と言うシチュエーションにとことんと弱いらしい。
「結果はまぁ残念だったけど、これからの誕生日をずっと罪悪感抱かずに祝えるのなら、カスミちゃんもその方が嬉しいんじゃない?」
 警察に荷物が届いた日の前日は、和臣氏の子供の誕生日。誕生日を祝ってから、裏帳簿とは別に警察に告発をするつもりであったのだろう。
 内部告発者となれば、会社内での立場も微妙になるし、なにより、警察での証言などなにかと忙しくなるのは必至なのだから、子供との時間なぞ削られるのは推測するまでもないだろう。
 十日も前に荷物を手配したのは、内部告発者になる決心が揺らがない為と、周囲に動揺や葛藤を悟られない為の――『物的証拠を保持していない』精神的な保険だと、ロキは考えていた。
「あのビルに見えてた『黒い影』はこれだったんだねぇ。和臣氏はそこから抜け出そうとしたんだろうな」
 ヒトが後ろ暗い気持ちを抱えて群れている。その為に見えていた黒い影と、和臣氏の失踪を結びつけ証明するのは難しいと考えていたロキは、労せず解決した事件にほっと息をつく。
 報酬は、ヘイムダルをからかえたこと。それだけでいいかと思わないでもない。実際、今回はたいした働きもしていないのであるし、元より完全なる興味本位での自主活動であったのだから。
 和臣氏が失踪した日にコンビニエンス・ストアから荷物を発送したまでは突き止めていたロキであったが、そんなものは警察が本気で動けばすぐに知れる事実だ。
 ちなみに、母子が不在中に家捜しされ無言電話も頻繁にかかってきたので、母親はノイローゼ気味になり、娘の安全の為にも父親の兄の家――ヘイムダルに身柄を預けたのだそうだ。
 ふらふらと歩き回っているように見えたフレイは、実は和臣氏が監禁されていたアパートのすぐ近くを歩いていたのだとも判明した。彼なら勘だけで和臣氏を発見できたかもしれないと、ロキは生ぬるく考える。
 ロキは、闇野がいれた紅茶を飲みながら、赤ん坊が母親に引き取られる前に出向いたヘイムダルの部屋での光景を思い出す。
 それは、最後の報酬の場でもあった。

   * * *

「ヘイムダル、苦労人も今日で終わりだネ」
「なんだロキかあっち行け。お前と遊んでいる暇は一秒足りとてないって前も言っただろう。この役立たず」
 ヘイムダルはベビーベッドを解体しているところであったので、またもや不法侵入してきたロキの方など、ちらとも見ていない。あまりにも素っ気無かった。
「仮初めの従兄弟とは言え、かわいい従姉妹と別れるのが名残惜しいからって、そんなつれなくしなくてもイイだろうに。ボク、泣いちゃうぞ」
「気持ち悪いからサッサと回れ右して帰れッ!」
 無視を決め込もうとの決意も虚しく、ヘイムダルはロキに怒鳴り返した。だが、ギッと向けた視線の先には、ヘイムダルなどちらとも意識せず、赤ん坊の傍らに座り込むロキの姿。
 微妙に嫌がらせチックなロキの言動に惑わされたら負けだ、とヘイムダルはぎりぎりと心の中で繰り返す。
 ……のだが。
「ヘム兄ちゃんは怒りんぼさんだねー。カスミちゃんは優しい子になるんだよー」
「だから触るなってッ! あ、お前、なにす……ッ?!」
 ロキはがなるヘイムダルなんて放っておき、絨毯の上を無邪気にごろごろと転がりまわっていた赤ん坊の頬にいつかのように口付けをしていた。
 その様子はヘイムダルの眼からすると、どうにも幼児に襲い掛かる色魔にしか見えず、頭を抱えて叫ぶしかない。
「ぎゃーっ! だからやめろってっ! 欲求不満も過ぎて幼児嗜好になったのか?! 僕の従姉妹を汚すなッ」
「あのねぇ……色魔とか欲求不満とか幼児嗜好とか、前の発言からなんかボクって和実君に嫌われてる気がする……むしろ虐げられてると言うか……一回本気でしめたろか……」
 ロキは、ふにふにとしたなんとも言えない弾力をした赤ん坊の頬を指先でつつきながら、恐ろしいことを口にする。
 赤ん坊は言葉の意味などわかるはずもなく、頬に受ける刺激と、言葉とは裏腹なだだもれの笑顔にあーあーと喜ぶばかりだ。
 赤ん坊はぺたんと尻をついて座り込むと、ロキの指先を追って手を伸ばして遊び始めた。まだ短く丸々とした指がロキの指先を追って右に左にひらひらと動くさまは、紋白蝶が空を飛んでいる光景に似ていた。
 どちらかと言えば子供は苦手な部類に入るロキだが、本人はなぜか子供になつかれる。それが女の子であればなおのこと。きっと、子供相手には嘘も策略もない笑顔を向けられるからだろう。
 ロキは、赤ん坊の相手の隙間をついて、ぎゃぁぎゃぁとうるさい過保護な門番にでこピンを食らわせた。
「ホントにうるさいなぁ、ヘイムダル。これはね、彼女への祝福」
「はぁ?」
 右の頬と左の頬に、神様であるロキが口付けた。なによりも強力な加護……と言えなくもないかもしれない。
「祝福より『呪い』じゃないか。カスミが転落一方の人生過ごすことになったらどうすんだっ。お前みたいなぐーたらしたろくでもないタラシ男にひっかかったりしたらどうすんだっ」
「あーもー、しつこいなぁ。そんなにうるさいんだったら仕方ない、ボクの魅力溢れるキスで黙らせてあげよう」
「…………」
 ヘイムダルは一発で大人しくなった。こちらは、ロキの魅力にやられたわけではなく、たんに気持ちが悪かったからだ。ロキにキスされるなんて冗談じゃない。露骨に顔を背けた。
 ロキはそんなヘイムダルの心境など百も承知の上で軽く無視した。あくまで、興味は赤ん坊にあると言わんばかりの態度だ。
「大丈夫だろ、カスミちゃんなら。なにせ、聖眼の持ち主で、今はこんなでも光の神ヘイムダルに守護されて、ボクの祝福まで貰っちゃうなんて、強運の持ち主なんだから。これで不幸になんてなれたら、それは世界の方がおかしくなってるんだよ」
 気がついてたんでしょ? キミも。とばかりに視線だけで問われ、ヘイムダルは頷かざるを得なかった。
 彼女の澄んだ目は、世にも稀な聖眼。世の中の清濁を見通し平定する眼だ。
 その目が、父親に内部告発者となる勇気を与え、ヘイムダルやフレイにその身柄を預かろうと決心させた。
「まぁ、子供の目は誰もが無垢で穢れないモノと言われてるけど。カスミちゃんだけが特別ってワケじゃなくてさ」
 赤ん坊は、黒々とした目をぱっちりと開けて、まじまじとふたりを見上げていた。
 夜の闇よりも深く濃い黒目と、雲の白よりも白い白目。じっと見ていると吸い込まれそうだ。
 おのれが彼女を見ているのか、彼女がおのれを見ているのか、わからなくなる不思議な心地すらする。
「きっと、彼女はどこまでも高くとべるし、深い水の中にもいけるのだろうね。カスミちゃんの未来はまだなんにも決まっていないがゆえに、誰よりも自由で果てしない。意識はまだ檻に閉じ込められておらず、常識は足枷にならず、不可能なんて無粋な言葉は知らない」
「運命の三姉妹も形無しの台詞だぞ、ソレ」
「まぁいいじゃない。だって、そう考えた方が楽しくない?」
「まぁ……な」
 宿敵に賛同するなんて心底嫌だけど、ロキの、どこか夢見がちな考えは嫌いではなかった。
 未来はすでに決められていると考えるよりかは、よっぽど。
「自由……誰よりも自由、か」
 ヘイムダルはロキと同じように、赤ん坊の頬を指先でつついた。
 命令とか宿命なんてものに囚われないこの小さな命が――なによりもうらやましく感じられたのであった。




途中で書くのが面倒くさくなったので強制終了だったなんて内緒(笑)。