A Flurry Of Falling Cherry Blossoms 

【 1 】






 それは、あたたかい日だった。
 公園の櫻が満開で、風にまかれた花びらが雪のように降り注いでいた。
 豪勢に咲き零れた櫻の隙間からキラキラと春の光が差し込むさまは、水晶をちりばめたように綺麗だった。
 パンダのアップリケがついた大きなポケットのある、ピンク色のジャンバースカートを着た幼稚園児くらいの女の子が――その下で泣いていた。
「パパぁ、ごめんなさい……」
 ぐずぐずと鼻を鳴らして言葉にもならない謝罪を口にする女の子に、若い父親は優しく笑って頭を撫でた。
「大丈夫だよ、まゆら」
「だって……だってぇ、ママの……」
「パパがさがしてやるから、大丈夫」

 わたしは、その親子を少し離れた場所に立って見ていた。
 わたしは、この光景の結末を知っている。
 わたしが勝手に持ち出して、櫻の花びらが舞う中で失くした、小さな小さなモノ。
 パパがさがしても、結局はみつからなかった――失くしモノ。
 
 今ならわかる。
 櫻の下で頭を撫でてくれたパパの顔は、優しいだけではなく、悲しみや困惑が隠れていたのだと。

 そんな、昔の夢を――見た。

   * * *

 今日も今日とて、大堂寺まゆらは燕雀探偵社に一直線であった。
 そして、今日も元気よく、開口一番で『依頼の有無』を確認するのであった。
 その様子が、最近は微妙に変化していると気がつかないロキではなかったが……
「ロキ君、こんにちはっ! 不思議ミステリーな依頼、来てないでしょ?」
「どーしてキミはそうやって予見できるかなぁ」
 あまり良い意味の変化ではないようだ。
「だって、ロキ君の顔見たら、最近はわかるようになっちゃった」
「まぁ……依頼がある方が珍しいしねぇ」
 顔見たらわかるようになった、なんて不意打ちで言われてなんだか妙に嬉しく感じてしまったおのれが嫌で不自然にそっぽを向いたロキに、闇野が苦笑をもらした。さすがにそのあたりは伊達に親子ではない、きちんと心境を把握していた。
 速攻でそっぽを向いたその横顔が赤くなっているなんて指摘しようものなら、向こう半日は拗ねられるだろうとわかりきっているのでもちろん黙っておいた。
 そんな思考を読まれていたのか、ちらりと不服そうな視線をロキに向けられ、闇野はそそくさと一階の台所へと降りて行く。まゆらが来たのなら、新しい紅茶のポットを用意する。それが彼の、最近の習慣でもあったからだ。
「そう言えばまゆら、今日は英語のミニテストの日だったんだろ? 結果はどうだったの?」
「もぉうばっちり」
「ボクが教えたおかげだね。お礼の言葉はないの?」
「もぉう感謝感激雨あられっ」
「なんか古いなぁ、それ」
 思わず、ロキは半眼でまゆらを眺めやってしまう。
『女子高生』なんてぴちぴちの皮をかぶっているけれど、彼女の本性は、実は彼女の父親レベルで古臭いのではないだろうか。
「ホントに感謝してるよぉ、ありがとうございます。これからもお願いね。感謝の気持ちをあらわして、郵便物回収してくるね」
 ……『これからも』って、案外ちゃっかりしてるネ。
 ロキの心中など知るはずもないまゆらは、ぱたぱたと軽い足音を響かせて玄関へと向かってしまった。
 ちらりと振り返った窓の外に郵便配達のバイクが走り去るのが見えたので、当然彼女もこのバイクを見つけたのだろう。
 ロキは軽く肩をすくめ、郵便物と紅茶が到着するまで読みかけの本のページを進めることにしたのであった。


「闇野さんの通販カタログに、ダイレクトメールがよっつ。水道局からのお知らせのハガキ。う〜ん、依頼の手紙はないみたい」
 郵便ポストからの回収物を手に、まゆらはがっくりとうなだれていた。今日も今日とて依頼はなさそうだ。
 最近、ミステリーとはとんとご無沙汰で、欲求不満が大炸裂。
「ん? 赤い封筒が……封が開いてる。差出人も宛名もなし……」
 ダイレクトメールに紛れていた、真っ赤な封筒の存在にまゆらは気がついた。封をしていた形跡はあるものの、配達の途中で封が開いてしまったらしい。
「なんだろこれ。なにかのお知らせにしては高そうな封筒だけど」
 宛名も書いていないとなれば、手当たり次第に配布したなにかのダイレクトメールの可能性が高いだろうとまゆらは首をかしげた。
 実際まゆらも、住宅見学会だのガス展示会だのの広告を、宛名無記名の茶封筒で何度も受け取っていた。ただし、手の中にある封筒は手触りの良い紙でできていて、封も割れてしまっていたが、蜜蝋を溶かして立派な印を押してあったようだ。
「う〜ん気になる気になる……」
 まゆらは中身を見たい見たい見たいけどロキ君の手紙だし、と葛藤しつつ指先を彷徨わせていたが……
「面白い内容だったら、ロキ君が教えてくれるよね」
 考え直して指先を引っ込めようとしたのだが。
「あ、手紙――ッ!」
 悪戯な突風が吹いて、赤い封筒をひらりと舞い上がらせた。そして、半開きになっていた封筒から中身が滑り落ちる。中には、白い厚手のカードが、二つ折りになっておさまっていた。
「中身も立派なカードだなぁ」
 腰をかがめながらカードを拾いかけたのだが、ぴりっと指先に走った痛みに、まゆらはカードを再び落としてしまった。
「草でさしちゃったかな」
 今度は恐る恐る指先でつまみあげたカードを封筒におさめると、他の郵便物と一緒にロキに渡す為、屋敷の中へと戻るのであった。


「はい、ロキ君。今日も依頼の手紙はなかったみたい。残念っ」
「……まゆらが郵便ポストに行きたがるのって、それがしたいから?」
「うん、そうっ。一番に依頼の手紙を見られるでしょ」
 ロキはげんなりとしながら手紙の束を受け取った。ミステリー好きもここまでくればいっそ天晴れだ。
「そうそう、変な封筒があったよ。宛名も差出人も書いてない、真っ赤な封筒」
「真っ赤?」
 通販カタログと、あきらかなダイレクトメールが四通。ハガキが一枚。残るは、モスグリーンの封筒。
「コレ?」
「赤いのだったよ。ロキ君みたいに、蝋で封をしてあったの」
「蝋で封はしてあったみたいだけど……あきらかに赤くはないな」
 ロキがかかげる封筒は、どこからどうみてもモスグリーンだった。まゆらは首をかしげるしかできない。
「見間違いかなぁ。あ、封を開けたの、わたしじゃないからね。元から開いてたの。中身も見てないよ」
「そのあたり疑ったりしない。でも、真っ赤??」
 ロキも首をかしげながら、まぁいいかと気を取り直した。
 緑だろうが赤だろうが、封筒は所詮入れ物だ。肝心なのは中身である。もしかしたら単なる広告が入っている可能性の方が高いのだから。
「なにかな、これ。謎詩?」
 手紙は、二つ折りにされた真っ白なカード。四隅に、蔦が絡まりあう模様が刷り込まれていた。そこに、深い緑のインクで書かれていたのは、謎の四行詩。
「水は燃えている? 高くに冬はのぼる?? 水が燃えると言えば石油とかを指すのが多いけど……。高い冬と言えば、大雪山冠雪……」
 ロキはその詩を手にしたまま考え込んでしまったようだ。
 そんな彼の様子を、ソファに腰掛けながら見ていたまゆらであったが、部屋があたたかいからか、睡魔が忍び寄ってきたようだ。
 ――闇野さんがいれてくれた紅茶も良い薫りだし。
 ソファも眠気を誘うほど良いかたさだし。
 クッションもふかふかとしていて、頭を乗せていいよって手招きしてるし。
 ロキ君は考えごとしてるから、ちょっとだけ目をつむっても、いいよね――
 まゆらは、睡魔の誘惑にあっさりと乗って、目をつむった。
 カードを手に考え込んでいるロキの気配や、紅茶の薫りや、部屋のあたたかさがすぅっと遠ざかっていった……
「あれ? まゆら、寝ちゃったの?」
 ロキが違和感に気づいてふと顔をあげたのは、それから少ししてからだった。
 なにもしていなくてもにぎやかなまゆらの気配がすっかりと沈黙してしまっていたからだった。
 まゆらは、クッションに身体を軽く預け、穏やかな寝顔で眠っていた。
 クッションの上をすべるようにして流れる長い髪に触れても、目を覚ます様子がない。
 軽く伏せたまつげの様子や、ゆるやかに上下する胸元をまじまじと観察しても、まったく気がつきやしない。
「へぇ、まゆらがうたたねしてるなんて、はじめてみた」
 ……してるの見られたことはあっても。
 おもわず忘れ去りたい過去まで思い出してしまい嫌な気分になるものの、そんな気分は軽く押し隠し、ロキは手にしたおのれのひざ掛けをまゆらへと着せかけた。
 薄手だけれども軽くてあたたかいのは実感済みだから、ゆっくりと眠れるだろう。おおかた、英語のミニテストの為に夜が遅くて寝不足だったのだろう。
「それにしても、ホントーに危機感のかけらも持ってもらえないんだ。こんな無防備に眠っちゃってさぁ」
 曲がりなりにも男とふたりっきりの部屋で眠っちゃうなんて、なにされても知らないよ?
「まぁ、ボクのところでだったら、もう諦めたけど」
 ロキは苦笑ともため息ともとれるものを小さくこぼし、頭の上に座り込んでいた式神をまゆらの膝の上に置くと定位置へと戻っていった。
 彼女に姿は見えなくても、えっちゃんはあたたかい。立派な湯たんぽになるだろう。
 謎詩のカードを手に、まゆらとえっちゃんと言う異色の光景を眺めやり、ロキは穏やかに笑うのであった。




・・・もう、イロイロとあきらめてしまったそうです(苦笑)。