A Flurry Of Falling Cherry Blossoms 

【 3 】






「間違って学校の中に入っちゃったのね。校門まで送ったげる」
 こっちこっちとばかりに先導されれば、ついて行くしかないではないか。ロキは、まゆらの後ろ姿を眺めながらついて行った。
 ロキが知っているまゆらは長い足を惜しげもなく晒したミニスカート姿が常であったが、中学生ではさすがに自由が利かないのか、紺色のスカートは膝が隠れるほどの長さだった。その裾が、彼女が歩くたびにゆらゆらと楽しげに揺れて、夏の空気をかき回していた。
「そう言えばキミ、お名前は?」
 くるんと振り返っての問いかけに、
「……竜介」
 ロキは思わず、息子の名前を口にしていた。
『ヤミノ君、ゴメン』
 胸中で、今は遠い息子へと謝る。
 まゆらは、その名前にも特別な反応は示さなかったが、ロキの想定外の興味を抱いたらしい。
「へぇ、リュウスケ君。お父さんかお母さんが外国の人? キミ、ハーフ?」
 校門まで送る。その言葉をすっかりと宇宙の彼方へと放り去ったようにキラキラと目を輝かせてロキへと詰め寄るまゆらに――ロキは思わず噴き出してしまった。まったくもって、彼女はなにも変わらない。
「どうして?」
「だって、どこか日本人離れした顔立ちだもん。それで名前が『リュウスケ君』でしょ。なんだかちぐはぐだけど、妙にカッコいいなぁって思って」
 あっ、悪い意味じゃないからねっ、怒らないでね?
 まゆらはくるくると表情を変えてロキに話しかける。
 まるで万華鏡を覗いている気分になる。一瞬も同じ模様を見せない、輝石を入れた万華鏡だ。透明な赤や緑や青や黄色の色彩をふりまいている。
 先に感じた痛みなど――あっと言う間に些細なものにしてしまう彼女に、助けに来たのか助けられたのか、ロキは一瞬わからなくなった。
 このめまいは、焼けるほどの陽射しが原因なのか、彼女が原因なのか。どれだけ考えても、ロキにわかるはずがなかった。
「そうだっ。放課後からミステリー研究会の会合があるのっ。なんと、今日はあのアイドルの青葉ユリ先輩も顔を出す日だから、リュウスケ君も来な……」
「まゆら?!」
 楽しげにロキに話しかけるまゆらの姿が風景ごとふぅと掻き消え、遠くへと吸い込まれて消えてしまった。
 ロキが手を伸ばすよりもはやく、ロキのまわりからすべてが消え去った。
 砂時計が上から下に流れ落ちるよりも自然に。
 あれほどまで現実感をまとっていた夏の陽射しまでが嘘になり――消えた。
 伸ばされたロキの右手は、空を掴むばかりであった。


 気がつけば、そこは、秋の世界。
「今度は……いつの記憶だ?」
 ロキは、さっき脱いだばかりのコートを腕を通さずに軽く羽織った。その裾を、すぃと吹き抜けた秋の風が揺らす。
 どこかの小山なのだろうか、背の高い樹がロキのまわりに広がっていた。赤に紅に茶に色を変えた葉が茂り、すっかりと秋模様であった。
 ロキの足元に広がるのは、落ち葉の絨毯。かさこそ しゃりしゃりとロキの歩みにそって音が鳴った。
 野リスが二匹、枝々の隙間からこちらを窺っているのに気がついた。どうやら、このあたりのリスは人懐こいらしい。可愛らしい仕草で小首をかしげ、大きな目をぱちくりとさせていた。
 たたっと走り出した野リスの行く先を追って、ロキはその子供を見つけた。
 大きな樹の根元に、しゃがみこんでいる女の子。
「まゆら……?」
 真剣な顔をして樹の周辺を見つめている彼女の横顔は、まさしくまゆらであった。
 長い髪を両耳の後ろでくくり、大きなリボンをつけていた。
 ピンク色のトレーナーに白いズボンの動きやすい服装。
 目の前にいる彼女は、どう見ても今のおのれと同じ程度の姿。
 ごそごそと、幾重にも降り積もった枯葉の中を引っ掻き回していた彼女は、なにかを見つけたのか、満面の笑顔になった。
「あったぁ。おっきなどんぐり!」
 まゆらの声が弾けて、落ち着いた秋の色彩に明るい色を添えた。
「あぁ、クヌギか」
 まゆらがしゃがみこんでいた樹は、クヌギだった。少し考えれば、彼女がなにをさがしていたのかわかりそうなものなのに、どうにも頭が動いていないようだった。
 ロキが口にした無意識の呟きに、小さなまゆらは気がついたらしい。きょとんとした目でこちらを見つめていた。
 やがて、頭をこてんっとかたむけて、問いかけてきた。
「知らない子がいる。キミもどんぐり探しに来たの?」
「いや……うん、そう」
 こんなところで否定しても意味がない。ロキは曖昧に頷いた。幸い、まゆらは疑ってもいないらしい。同じ年頃の男の子に笑いかけるのとなんら変わらない笑みを向けるだけであった。
「学校の宿題だもんね、どんぐり。来週の工作の時間で使うんだって。ねぇ、名前、なんて言うの?」
「……ナルカミ」
 とっさに出た名前にしても他になかったのかと、一瞬おのれを叱咤したくなった。よりによって『ナルカミ君』の名を語るとは。頭が動いていないにもほどがあった。
 まゆらはやっぱりなんの疑いもなく、反対側にこてんっと首をかしげただけであった。その仕草は、いつものまゆらとなんら変わらず、幼い感じがした。
「ナルカミ君? そんな名前の子、うちの学校にいたかな? まぁいいや。はい、コレ、あげる!」
 まゆらはにっこりと笑って、今さっき見つけたばかりの大きなどんぐりをロキに差し出した。
 まゆらの指先で、丸いどんぐりが秋の色を弾いてぴかぴかと光って見えた。
 ロキは眩しいものを見るように目を細める。秋の陽射しはどこか弱いものなのに――眩しい。
「だって、これ、キミがさっき見つけたのじゃぁ……」
「お友達になったキネン! まゆらはもっと大きなのさがすから、いいの」
 まゆらに押し付けられたどんぐりが、ロキの手の平にぽつんと転がった。丸々として大きく、どこかしらあたたかいどんぐりだ。
「……ありがとう」
 彼女は、こんな、些細なところが――さり気なく優しい。
 その小さな姿も、秋の景色とともにふぅ……っと掻き消えてしまった。
 ――『ありがとう』は彼女の耳に届いただろうか。
 そんなことが気になるロキであった。


 次にあらわれたのは、海。
 陽光煌く夏の青い海ではなく、どこか灰色がかった海だった。
 吹き付ける風も鋭い冷たさと潮の香りを含み、腕を通していないロキのコートをバタバタとはためかせた。
「こんなところに、まゆらがいるってのか?」
 寒々しく、寂しいところだ。足元に広がる砂浜も、泡立ち白い線をひく波も、夏であれば眩しく見えるはずのそれらは、寂莫感を募らせるばかり。
 寄せては返す波の音は耳について離れないのに、『無音』と感じるのは何故なのか。まるで、心のこもらない機械仕掛けの音楽が響いているようだ。
 にぎやかなのが好きな彼女が、こんなところにいるはずがない。
 ロキはコートの前身ごろを押さえながら視線を遠くへと投げやって、かすかに目を見張った。
 白い波打ち際に、まゆらが立っていたからだ。
 ロキが良く知っている姿に程近い彼女だ。
 シルバーグレーのロングスカートが風に揺れている。
 いつものようにときはなした髪は、風に乗ってさらさらと流れ、彼女の背で踊ってみえた。
 弱い光の下では白い砂の上に淡い影さえも生まれず、それがまたこの寂しい風景に彼女の姿を違和感なく調和させていた。
 彼女は、海の向こうになにを見ているのだろうか。その横顔には、なんの感情も浮かんではいなかった。
 華奢な背中は、一層細く見えた。
 やや伏せ加減のまつげに飾られた、遠くを見る瞳。
 光の一筋もささない海と空にそのまま溶け込んでしまうのではないだろうかと不安になる。
 ……ロキには、かける言葉がなかった。

 この罠を仕掛けた人物は、ボクになにをさせたいのだろう。

 ふと、今更ながらの疑問を抱いた。
 なにをさせたいのだろう。彼女を眠らせて、彼女の記憶の断片に接触させて――
 あぁ違う。狙い通りじゃないか。どうにもできずに彼女の中にボクが閉じ込められたとしたら、狙い通りじゃないか。
 
 違うんだ。
 そんなのじゃないんだ。
『狙い』なんて――どうでもいい。

 ロキは『なにもできない』なんて言葉で目の前のまゆらを放っておくのが我慢できなくて砂を蹴るようにして彼女に駆け寄ったのだけれど――
 彼女が気配に気づいて振り返るよりも先に、彼女の服の袖をロキが引くよりも先に、寂しい海の風景も掻き消えていった。

 大人の姿であったなら。
 彼女を寂しいままあんなところに立たせやしなかったのに。
 今までで一番、悔しかった。