A Flurry Of Falling Cherry Blossoms 

【 4 】






 次にロキが立っていたのは、冬のプラットホームだった。
 灰色をした空から、次々と白い雪が舞い降りていた。
 ガタン ガタン ガタン ガタン……
 とりどりの制服を着た同じ年頃の男女をたくさん吐き出し、駅から発車した電車は徐々に遠ざかっていく。
 電車が通過した後には、風圧に巻かれた枝がさわさわと揺れていた。
 線路に落ちた雪はすぅと解け行き、水滴となって枕木をぬらす。
 制服姿の子供たちは、数人で固まってなにかを言い合い、または押し黙って、改札口の向こう側へと消えていく。
 プラットホームの一番端にあるベンチに、紺色のコートに白いマフラーをした女の子がひとり、残った。かろうじて屋根の下であったが、見るからに寒そうであった。
 彼女は、心持ち前かがみになって目を閉じていた。なにかに耐えているようであった。
 顔色が――悪い。

   * * *

「やだなぁもう……こんな日に当たっちゃうなんて」
 今日は、滑り止めの高校受験日。
 先生からは
『軽々受かる。受験に慣れる為に受けて来い』
 気軽に言われた高校ではあっても、はじめての高校受験で想像以上に緊張していたらしい。身体は素直に異常を訴え、十日もはやく月経が来て、痛みもいつもの比ではなかった。
 電車に乗ってここまで来るのが精一杯。同じ中学のグループに声をかけ先に行ってもらってから、まゆらはベンチに力尽きたように座り込んでいた。
 追い討ちをかけるように雪まで降ってきて、スニーカーを通して足元から冷気がざわりと伝わり、身体を冷やしていく。
 はやめに出てきたから、時間はまだ大丈夫。次の電車が来るまで、ここに座っていよう……ぼんやりと行動の順序を決めた。
 自宅から電車で一時間西に行った山の中なので、電車の本数も少ないし、この駅にとまらない電車も多かった。
 駅員も電車の離発着時以外は駅員室に引っ込んでいるらしい。今はいらぬ詮索をされないだけありがたかった。
 寒いはずなのに流れ落ちそうになる汗をぬぐおうとハンカチを出す為に顔をあげた時、まゆらはふと気がついた。
 誰もいないと思っていたプラットホームに、黒いコートを着た子供がいた。それも、すぐそばに、いた。
「大丈夫? おねぇさん」
「あ……」
 雪をかぶってもなお青々とした緑色の目が、まゆらを見ていた。
「気分が悪い?」
「えっと……緊張でお腹が」
 まさか本当のことは言えないし、それに半分は本当だ。
 けれども、まゆらの顔はみるみる赤くなっていった。全部を言ったわけじゃないのに、全部を知られてしまったような、恥ずかしさ。
「そうか、今日はあそこの高校の受験日だからね」
 ついで少年は、なにかあたたかいものを見つけたように笑った。
「おねぇさん、これ見て」
 少年は、右手になにかを持っていた。
「どんぐりだ、かわいい」
 彼が持っていたのは秋の残りものだった。丸々としたどんぐりを大事に持っているところなど、年相応に思えた。彼にはじめて気がついた時、どこか年に似合わない重いものを感じたのだ。
 どんぐりの丸いフォルムを見つめていると、緊張が少しとれた気がした。
 少年は両手をあわせ、なにかを掴んだままの仕草で両手の甲を上にしてまゆらに差し出した。手品でよくある『コインはどちらの手にあるでしょう?』の仕草だ。
「どんぐりはどっちにあるでしょう?」
 時間がない受験日なのに、雪はどんどんと降り続いているのに、そんな時ではないとわかりながらも、まゆらは小さく噴き出していた。
「笑ってないで、ねぇ、どっち?」
 ベンチに座ったままの、まゆらの目の高さにある――白い手。
「じゃぁ、こっち」
 少年の右手を選ぶと、彼は唇の端に楽しい悪戯にひっかかった大人に向ける笑みを浮かべた。
「残念、どんぐりはこっち」
 目の前でぱっと開かれた左手に握られていたどんぐり。
「右手はね、コレ」
 開かれた右手の中には――みっつの、丸い飴玉。
「手品、上手ねぇ」
 どうぞ、とばかりに差し出された手の平からひとつとって、薄いセロファンをといて口に含む。優しい味が口内に広がって、まゆらは自然に笑った。
「……イチゴ味だ。ありがとう」
「全部あげるよ。お守り」
「お守り?」
 まゆらは不思議に思った。
 今日ははじめての受験日。受けるのは、先生にすすめられた『楽勝の滑り止め学校』
 まゆらがこれから予定しているのは、家から近い本命高校と、背伸びしてチャレンジした他県にある有名女子高だ。
 三校の受験に、三粒のお守り。これはなにかの偶然だろうか。
「ありがとう。がんばるね」
 偶然以外のなにものでもないではないか。まゆらは少年から飴玉を受け取った。
 いつの間にか、下腹部の鈍痛がなくなっていることに、まゆらは気がつかなかった。
 かわりに、少年の深い緑の瞳に見覚えがある気が、した。
 なにを馬鹿な、と思いながらも、聞かずにはいられなかった。
「ねぇ、どこかであったこと、ある?」

   * * *

「ねぇ、どこかであったこと、ある?」
 ベンチに座っている彼女にそう問われ、ロキは一瞬目を見張った。
 きっと、彼女の中にある、並列した記憶が、今までに接触したいくつかの記憶に触発され混線したただけなのだとわかっていても……『まゆらと現実世界で過ごした日々』が、今この時に発現したのではないかと思いたくて仕方ないおのれの心のありようが不思議でたまらなかった。
 ロキはそんなおのれの気持ちを軽く押し隠し、年相応の笑顔を浮かべた。
「この駅で偶然会っただけだけど?」
 それもそうなんだけど……とまゆらは考えているが、どれだけ考えても答えなど出るはずがないだろう。
 カタタン……コトトン……
 次の電車が、遠くから近づいてくるのが聞こえた。
「わたし、まゆらって言うの。ねぇ、キミの名前、教えてくれる?」
 プラットホームに侵入してくる電車は、通過するのか、速度を緩める気配はなかった。
 一瞬鋭く感じた風圧に続く、浚われるかと思うほどのスピードで世界を切り取っていく白い電車は雪にまぎれて走り抜ける。

 雪が鳴く。
 世界は白に埋め尽くされる。
 この冬の世界には、まゆらとロキのふたりきり。
 他には誰も――存在しない。
 電車の音は、ふたりを孤立させ、また外界から守る壁にしかならず。
 ロキは電車が通り過ぎないうちに名を口にする。
 誰のものでもない、おのれの名を。
『オモイダシテ』――そんな願いは『無意味』なのに。
 コォォォォォォ…………
 減速しない白い電車が、空気を切り裂きながら後ろを通り過ぎた。
 その風に乗って、冬の世界は流されていった。
 春の花に似た笑みを浮かべたまゆらが嬉しそうに
「ロキ君」
 そう呟いたのが――最後に見えた。

   * * *

 細かく切り取られた雪の世界は、流れて、溶けて、再び固まる。
 今度は、白い世界がロキの周囲に広がっていた。
 雪の白とは違う、なにもない『白』であった。
 果てなどどこにもない、陰影、濃淡さえない白。
 他者の息遣いが一切こそげ落とされた白。
 そこに、白い棺がひとつ、存在していた。
 ゆっくりと近づいていくと、誰かがその中に横たわっていた。
 誰かなんて、わかりきっている。ここはまゆらの世界なのだから。この『彼女』こそを探しにここまで来たのだから。
 白亜の城で眠り続ける、茨姫。
 白い棺の中で、セーラー服のまま横たわり、胸の上で軽く両手を組んで瞳を閉じている彼女は、眠っていると言うよりは――死んでいるように見えて。
「もう二度と見たくないね」
 ロキは、彼女の耳元で囁く。
 ゲストルームで彼女の寝顔を見てから、もう二度と彼女のこんな顔は見たくないと強く思った。
 心臓が――止まるかと――思ったから。
「まゆら、寝すぎだよ」
 右手を伸ばして、その頬に触れる。
「眠り姫なんてガラじゃないでしょ?」
 肌の白さに反して血の通ったあたたかさの宿る、やわらかい頬だった。
「それとも、王子様役もやった方がいいの?」
 ロキは、ゆっくりと身をかがめて――眠り姫の唇へ――……