A Flurry Of Falling Cherry Blossoms 

【 5 】






 世界は、崩れて、形を変える。


 そこは、春の公園であった。
 櫻が満開であった。
 ほんの少しの風が吹くたびに、淡い色の花びらが巻き上げられ、はらはら はらはら、雪のように降り注いでいた。
 世界は櫻色にそまり、陽射しはどことなくやわらかくまろやかだ。
 その櫻の下を元気よく走り回っている、数名の子供たち。幼稚園くらいだろうか、なんとも危なっかしい足取りであった。
 その中に、ピンク色のジャンバースカートを着た女の子がいた。どんなに幼くとも、すぐに誰だかわかる。大きなポケットには、パンダのアップリケ。
 遊びまわっているくせに、彼女はその小さな右手になにかをずっと握りしめているようであった。よくよく目を凝らせば、それが、金属製の小箱であるとわかった。
 彼らは、櫻の樹よりももっと奥に行くことにしたらしい。どんどんと奥へ走って行く。ロキもその後をついていった。
 公園の外周部には、ちょっとした林のように大木が何本も枝を伸ばしていた。その木に、子供たちは身軽によじ登っていた。
 都会の子であるのに、案外とたくましいとロキは感心せずにいられない。
「向こうに行こうよ」
 ひとしきり木登りを楽しんだら、今度は誰かの号令で再び大移動開始だ。
 まゆらへと視線をやると、どこか鈍臭いくせに木の高いところへと登ってしまって半泣き状態になっている。
「まってぇ」
 友達に追いつこうと、精一杯のはやさでおりはじめた彼女の手に、あの箱はなかった。
 それに気がつかずに、まゆらはぱたぱたと子供特有の仕草で走って行ってしまった。
 見上げた樹の枝の間には、金属の箱が取り残されていた。うまいこと葉に隠され、よくよくさがさないとわからないところであった。
 

 ロキが公園の中央へと戻ってくると、まゆらが櫻の下でべそべそと泣いていた。
 柔らかい頬に次から次へと零れる大粒の涙と、はらはらと降り注ぐ櫻の花びら。
 かたわらには、迎えに来たのであろう、操の姿があった。
「パパぁ、ごめんなさい……」
 ぐずぐずと鼻を鳴らして言葉にもならない謝罪を口にするまゆらに、操は優しく笑って頭を撫でた。
「大丈夫だよ、まゆら」
「だって……だってぇ、ママの……」
「パパがさがしてやるから、大丈夫」
 その親子のやり取りも――櫻の花びらに巻かれてふぅっと消え……


 次は――どこかの、神社の境内にロキはやって来ていた。
 空は良く晴れた青色に染まり、じゃりっと鳴る玉砂利の白は大層美しかった。
 お宮参りなのだろうか、階段の方から誰かがのぼってくる気配がする。
 頭ひとつ背が高いのだろう、父親の顔が先に見えた。
「まゆらパパだ」
 先の春の世界よりも、幾分か若い操の顔が見えた。どこか、無駄に力の入った、緊張しきった顔であった。
 さすがに、おのれが神主をやっている神社には参られないらしい。おおかた、先輩神主の神社でお宮参りとなったのだろう。
 お宮参りを受け入れるのには慣れていても、参りに行くのははじめてなのだから、緊張も仕方がないかもしれない。
「じゃぁ、隣にいるのは……まゆらママ?」
 あと少しでまゆらの母親の顔が見える――
 ロキが、知らず階段の方を凝視したその時――……

『ここから先は乙女の秘密ですわよ!』

 玲瓏たる声が響き渡り。
 襟首をぐいっと引っ張られたかと思うと。

 ――そこは、勝手知ったる我が家の、ゲストルームの床の上なのであった。

   * * *

「お帰りなさいませ、ロキ様。さぁさ、ロキ様は冷めないうちに夕食を召し上がってください。まゆらさんはこのままもう少し寝かせておいてあげましょうねぇ」
 闇野にゲストルームからとっとと追い出されたロキは、部屋の時計にちらりと視線を投げた。
 考えていた通り、時計はほとんど進んでいなかった。精神世界の時間は並列だから、三日の経過でも三十分の経過でも驚きはしなかったが、今回は後者であったらしい。
「パパさんには、今日はうちに泊まられるように電話をしておきましたけど、おもしろいほどに怒られましたよ」
 まゆらさん、明日は大変かもしれませんけど、私にはどうしようもありません。
 闇野が諦めの笑みを乗せるが、
「……おつかれさま」
 闇野とまゆらに向けた諦めの言葉をロキも口にするしかない。本当に、時間の進み具合が後者でよかった。
 まゆらの方はできる限りのフォローはするつもりであるけれど……娘想いの操を納得させるのは至難のわざだと知っているだけに、なんとも気が重い。
「ところで、どなたの仕業だったかはわかりましたか?」
 途端、ロキは最高に仏頂面になった。
「あんの研究バカ、今度会ったらただじゃおかない」
「……ヴェルダンディーさんですか」
 闇野の顔には、なんとも言えない表情が張り付いたのであった。
 ロキが夕食を終えてゲストルームに顔を出すと、ちょうど目が覚めたらしいまゆらが上半身を起こしてぼんやりとしていたところだった。
 ナイトランプだけがともる薄闇の落ちた部屋ではあったが、そこには陰鬱な影などなく、安らぎだけが満ちていた。
「なんだか、昔の夢、いっぱい見ちゃった」
 ぼんやりとした顔でまゆらが懐かしむ声色で話し出すのに、ロキは頷きだけで続きを促す。
「どうしてだかね、そこにロキ君もいっぱい出てきたの」
 ロキはくすりと笑った。どうやら、あの精神世界でのできごとは、彼女にとっては『夢』であるらしい。
「変だよね。子供の頃にロキ君と会ってたわけ、ないのに」
「さぁ、もしかしたらどこかで会ってたかもしれないよ?」
「ロキ君が言うと、本当かも知れないって思っちゃうんだけど……。でも、そうだったらステキだねぇ」
 ふにゃんとした笑みを向けられて、ロキも笑い返すしかなかった。なんて無防備なのだろう。こちらの気も知らないで。
「あのね、ロキ君、お願いがあるんだけど……」
「ナニ?」
「明日ね、付き合って欲しいトコロがあるの」

   * * *

 満開の櫻のかわりに、紅葉も終わりかけの樹が人目をひく、大きな公園。
 朝もはやくからそこにやってきたロキは、まゆらに導かれてどんどんと奥へと入り込んでいた。
「わたしね、小さい頃にとっても大切なモノ、ここで失くしたの。でね、昨日見た夢で、その時のこと思い出したの」
「へぇ? なかなかお役立ちな夢じゃない。一体ナニを失くしたの?」
「ママの指輪。パパに聞いたら、屋台で買ったような安いものだから気にするなって言ってたけど、黙って持ち出して失くしちゃったの、やっぱり気になって。ママの大切な思い出、一個失くしちゃったの、わたしのせいだから」
「……ふぅん?」
 ロキが見たのは金属製の小箱であったけれど、まゆらは一生懸命に木の上を見上げて指輪を探している。
「やっぱりないかなぁ、指輪なんて小さいし、カラスが持ってっちゃったのかな。もう何年も経ってるし」
「ヒカリモノ好きな鳥は多いからねぇ」
 まぁ、箱が開いてさえいなければ残っているかもしれないけれど。あの、葉や枝でうまく隠れていた具合を思い出すに、もしかしたら公園管理の業者も気がつかないかもしれない。
「やっぱりナイ〜。公園管理の業者さんのところにも連絡したんだけど、そっちにもなかったから、やっぱり鳥かなぁ」
 諦めきれないのか、ぴょんぴょんと跳ねているまゆらの後ろ姿を眺めながら、ロキはポケットからあるものを取り出した。それは、腐食すらしていない金属製の小さな箱であった。
「まゆら、さっきそこの木の上でコレを見つけたんだけど、これは違うの?」
「え、箱? って、それ、なんだか見覚えあるような……ちょ、ちょっと待ってロキ君! それ、それの中ッ!」
 あわてて駆け寄るまゆらに、ロキは小箱を手渡した。
「あったぁ」
 小箱の中には、ウサギ柄のハンカチに包まれた、銀色の指輪がひとつ。あの日の櫻吹雪のひとひらが凝ったような淡い色の小さな石が、まゆらの手の中で輝いた。
「うわ〜ん! あったあったあったよぉ! すっご〜い! これ失くしたの、幼稚園の時なのに、不思議、奇蹟〜〜!」
 指輪を手に、まさしく『興奮の坩堝』状態のまゆらは気がつかなかった。
 ロキが、そんなまゆらを目を細めて見ていたことなど。
 ロキが取り出した小箱は――まゆらの精神世界の中から持ち出したもの。
 あの時、友達と走り去ってしまったまゆらを追いかけて手渡そうとしていたもの。
 結局、声をかける前に春の世界から弾き飛ばされ、そのままこちらの世界へと持って帰ってしまったのだった。
『でも、まぁいいか』
 彼女があんなにも喜んでいるのなら――すべて良し。
 何故なら、これこそが、あの『赤い封筒』が運んできた魔法の効力であるのだから。
 あの日の夜、書斎に放置していた蔦模様の白いカードを見ると、謎の四行詩が書かれていたはずのそこには
『忘れんぼさんに効く新魔法』
 そんな言葉がのん気に書かれていた。もちろん封筒は、まゆらが見たと言っていた『赤い色』に変色していて。
『封書で重要なのは外身ではなく中身』であるはずなのに、今回の封書に関しては、まさに『封筒』に意味があったのだ。
 あの謎詩は、ハナから意味のない言葉の羅列だったのだと知らされてロキは思わずカードを床に叩きつけようとしたが――寸前でとめた。
 確かに、忘れていた事柄を思い出し、喜んでいる人物がいるのなら、今回は見逃してやっても良いだろう。
 かわりに、
『想定外の副作用多し。却下』
 つれなく一行書き下してから飛行機に折ると、窓から夜の世界へと向けて飛ばしたのだった。
 それを受け取って
「まだまだ改良の余地があるようですわね」
 ――どこかの研究室で、黒髪の女神が不気味に微笑みながら呟いたのを、ロキが知る術はなかったのであった。

   * * * 

 数年も前に失くしたはずの妻との思い出の品を娘に差し出された操が、なんとも言えない表情になり
「ま……まぁ、今回は許してやろう」
 そんな言葉を、強引に屋敷に泊めさせたことになっている心象悪い探偵とその家人に言い放ったことも付け加えておく。




指輪はめさせて『これでもう落とさないデショ?』って展開にすれば良かったと、書きあがって数ヶ月経ったある日に後悔した書き手でした・・・。