軽犯罪の男 






「きょ〜おのやしょくはちゃーはんちゃーはんちゃーはん〜〜♪」
 街灯が煌々とともる時間帯。
 住宅地に響き渡るかのように調子っぱずれな歌を歌っているのは、学生服を着た男子高校生であった。
 彼は今、最高にご機嫌であった。
 三日前から勤めている中華飯店が本日は大繁盛で、材料品切れにより早仕舞い。ご機嫌になった店主が、たくさんのチャーハンを持たせてくれたのだ。
 一時間もはやく帰宅できるのも嬉しければ、命を繋ぐ食料まで手の中にあるとなればこれ以上の至福はない。なにせ、勉強は学生の本分とは言いながら、それ以前に『働かなければ生きていけない』頼る者もいない貧乏学生であるのだから。
 ボロアパートへと続く道がなにやらいつもと様子が違ってざわざわしていなくもないが、それすらも気にならないほどに最高な気分であった。
 だが、その最高の気分は長くは続かない。何故なら、あと二百メートルばかりで四畳一間の我が家へと辿り着くところで
「ちょっとキミ」
 あきらかな警察関係者に声をかけられ
「木刀持ってこんな時間になにしてるの。ちょっと話聞かせてもらえる?」
 ……警察署へとひっぱられたからだ。
 彼を見送るかのように、ほど近い場所でパトカーのサイレンが鳴り響くのであった。 

   * * *

「へぇ? それで? どうしてボクのヤミノ君がキミの身請け人にならなくちゃならないわけ? しかもこんな夜中に?」
 真夜中であるのに賑々しい今夜の警察署車寄せ部分に、普通一般ならもう就寝していなければならないであろう年頃の子供が立っていた。十二月の夜の冷気の中、口元からほわほわと白い息を吐き出しているのと同じだけの嫌味をたっぷりと吐き出している。
 言わずと知れた、ロキである。
 目の前には、今しがた闇野に身請けされて来たばかりの、鳴神少年。
「だって仕方ないだろう? オレの身内は神界だし、他に知り合いの大人なんかバイト先のおっちゃんとか大家のばぁちゃんくらいだし」
 どっちにも、こんな夜中に迷惑かけられん。
 鳴神は妙に胸を張って言い切った。
「ボクらなら真夜中に迷惑かけてもいいってわけ」
 嫌味たっぷりなくせに、顔はこの上もなくにこやかなのが恐ろしい。
 にぎやかではあってもやはり夜中は夜中。どこか薄暗い影の中、猫のような緑の目に凝視されるのは生きた心地がしない鳴神であった。
「かたいこと言うなよ〜。腐れ縁の仲良しサンじゃないか」
「腐れ縁も腐れきってそろそろ切れてくれないかと切実に願うよ」
 にこやかとは言っても真夜中に叩き起こされたロキは見る人が見ればこの上もなく不機嫌だとわかるので、警察署から出てきたばかりの闇野はハラハラしていた。
 ちなみにこちらは、慣れない『トール神の知人の大人役』をやり終えたばかりで、ぐったりとした上での精神的追加打撃だ。内心ではハラハラとしていても、外見上は精も根も尽き果てた様子であった。
「だいたい、なんで職質かけられてんの。キミ、ホントにそれでもカミサマ?」
 途端、鳴神はしょぼんとした。
 だが、そこはそれ楽観的な鳴神少年であるので、すぐに立ち直ったようだ。
「職質なんか日常茶飯事でいっ」
 彼の自信満々の言葉に、ロキは場違いなほどの笑みを刻んだ。まさしくとろけるような艶めいた笑みを、だ。際立って整った容貌がますます冴え渡って見えた。
「……この日本では抜き身の木刀が軽犯罪に触れるってそろそろ自覚してくれないかな」
「今まで『相棒のミョルニルだ』って言えばすぐに解放されたんだよ」
「近所でヤのつくヒトタチが抗争でお忙しかった日くらい自重しようって気にはならないの?」
「だってバイトで知らんかったんだからしゃーねーだろ」
「キミって…………カワイイね」
「ば……ッ! 脈略なくンなこと言うなーッ!」
「間の悪いところが」
 ロキ様、意趣返しが微妙すぎて、なんだかこの闇野の方が虚脱してしまうんですけど……。
 闇野が声にならない訴えをあげるが、ふたりはまったく気がつく様子はない。
「だいたいねぇ、ボクみたいな歳の良い子ならすでにぐっすりお休みで誰にも邪魔されない夢の中をのびのび泳ぎまわっているのが本来の姿なのにどうしてボクここにいるのなんてのは言わないよこれでもボクいい大人だし」
「いやホントマジすまんかった許してロキ大明神サマサマ」
 さすがにここまで来ると嫌味であるのはわかったらしく、鳴神少年は謝りの言葉を口にする。
 その顔色がなにやら青いのはきっと闇野の気のせいではないだろう。なにせ、ロキとくれば今だにニコニコニコニコ、聖母もかくやと思わせるほどの笑みのままだからだ。顔がそのまま硬直しているのではないかと心配になってくるほどだ。
 これで、たっぷりと含まれた毒気に気がつかなければ、相当の――ド鈍。
「それにさぁ。なんでキミがうちの電話番号知ってんの。ボクは道々それが不思議で不思議で仕方なかったんだけど。キミんち、電話なんかないだろうから教えてないのに」
「オレだってお前ンちに電話があるなんて考えもしなかったけど、大堂寺のケータイに電話して聞き出した」
「……ちょっと待ってよなんでナルカミ君がまゆらの携帯番号知ってるんだよ」
「って言うか、知らん方がおかしいだろ、今のご時世だったら。メールアドレスならちょいと考えるけど」
「ボク、まゆらんちの電話番号しか知んないよ」
『メールアドレスなんて未知の世界。そもそもボクから電話なんかしないし』とばかりに黙り込むロキの後ろで、闇野がおずおずと手をあげた。
「私……まゆらさんのメールアドレス知ってます……デス」
 ……なんで??
 警察前で、ロキと鳴神両名からきょとんとした視線を向けられ、闇野に逃げ場があるはずがなかった。

   * * *

 後日、ハイテク関係どころかテレビのリモコンさえ怖くて触れないロキが、
「時代は伝書カラスだ」
 ……まゆらを洗脳しようとしていたとかしていなかったとか。





剥き身の木刀所持は軽犯罪だそうです。