リンゴン リンゴン♪
今日は聖なる日
聖なる子の誕生せし夜
金の鈴鳴り
星々は歌い
水晶は煌く
白い雪も舞い落ちれば
今日はハッピー・クリスマス!
* * *
――なんて浮かれまくったニンゲンたち。おめでたいね。
黒衣の少年は、にぎやかな上ににぎやかな街をひとりで歩く。
金銀のモールで店々は飾られ、そこここには大きなクリスマス・ツリー。
スピーカーから流れるのは、新旧取り混ぜたクリスマス・ソング。
大繁盛しているケーキ屋からクリスマス・ケーキを手に出てくる母親と子供の顔には、楽しそうな笑みしか捜せない。
腕を組んで歩く恋人同士も、なにもなくても五割り増しで楽しそうだ。
そんな人の群れの中を、切るように冷たい冬の空気も知らぬげに笑いさざめく人々とは正反対の表情で、まっすぐに前を向いて少年は歩いている。
頭上に広がった透明度の高い蒼穹を眺めやりもせず、ただ歩く。
この街に来て、はじめての冬。
もうどれだけの時間を過ごしただろう。
指を折るのも虚しくて、ロキは思考を無理矢理に断ち切る。
周囲が無責任に浮かれていれば浮かれているだけ、ロキの心は沈んでいく。
右手を突っ込んだコートのポケットにはこんな日にこんな場所に来なければならなくなった元凶が入っているけれど、その表面を指先でなぞっていても心はちっとも浮上しない。
きっと……夢見が悪かったのだ。
……覚えていないけど。
物思いに沈んだままのロキの背中を、陽気な『ジングル・ベル』のメロディーが見送るのであった。
* * *
「うわぁ、さむっ」
セーラー服の上にコート。紺色のハイソックスを履いた足をぱたぱたと踏み鳴らし、まゆらは冷たい鉄門に手をかけた。
指先に張り付く鉄の冷たさに、反対側の手で無意識に白いマフラーを口元まで引き上げながら、手袋をしてくるのだったと少しばかり後悔する。
空を見上げれば、雲ひとつない晴天。だが、寒さが突き刺すほどにまゆらを包んでいた。
寒さを吹き飛ばそうと学校からここまで小走りに駆けて来たので、吐く息は気温差とはまた違った白さに染まっている。
「そんなに寒いんなら、ミニスカートやめればいいのに」
足早に鉄門を閉めて、勝手知ったるあたたかな探偵事務所の書斎兼応接間でくつろごう、と考えていたまゆらの後ろからそんな声がかかった。誰だと問わずともわかる、燕雀探偵社のロキだ。
「なんでロキ君、後ろなんかにいるのぉ?」
まゆらはロキの為に鉄門を開けながら、心底不思議そうに問いかけた。ロキは屋敷の中に居る、と無意識に思い込んでいたので本当に驚いたのだ。
「……ボクにだって用事くらいある。それともナニ? ボクが外にいるのがそんなに不思議?」
「そんなんじゃないけど、今日なんかこんなに寒いんだもの。絶対外になんか行かないって決めてそうだったから」
まぁホントはこんな寒い日に、しかも人出の多いってわかりきってる日に出歩くなんて不本意だけど。
そんな意味をこめながら肩をすくめつつ、ロキは屋敷の敷地内へと踏み込む。
なにせ今日はクリスマス・イブなのだ。なにをとち狂ってそんな日に街中へ出かけなくてはならなくなったのか。
ちょっとばかりおのれの行動にうんざりしていたが、それをまゆらに告げる必要もまったく有りはしないともちゃんとわかっている。そのまま黙って玄関へと向かう小道を進んだ。左手はコートのポケットに。
「こんなにさっむい日は、闇野さんの紅茶が三割り増しでおいしいよね」
なんて後ろからかけられたうっきうきとしたまゆらの声に、ロキは振り返りもせず
「残念でした。今、ヤミノ君はおでかけ。よって、紅茶はおろか、部屋はひえひえだよ。それでも入る?」
ロキは、まゆらに見えるように肩の上でポケットから取り出したアンティーク細工の鍵をふりふりとしてから、玄関扉の鍵穴に鍵を入れた。
まゆらは、大きな屋敷、広い部屋であるだけにひえひえの度合いもひどいのだろうと逡巡していたが――かちり、と冷たい音が聞こえてしまうともう駄目だ。彼女に選択権などあるはずがない。
「……入る。だって寒そうだもの」
「はぁ? ひえひえだって言ったげたのに、ナニソレ」
「いいのっ。闇野さんのかわりに、今日はわたしが紅茶をいれたげる。ロキ君は暖房、お願いね」
「お願いねって言われても……」
ひゃぁぁさっむーいっ、と叫びながらぱたぱたとキッチンへと走るまゆらの後ろ姿を見送りつつ、ロキはちょっとばかり途方に暮れた。
自分の家であるくせに、ハイテク関係さっぱりなロキは、闇野が設置したセントラルヒーティングの操作方法を理解するどころか、その努力をあっさりと放棄していたのだ。
不用意に触って機械類を壊すよりかは寒い方が良い。
とは思っていながらも、それにまゆらを巻き込むわけにもいかないだろう……風邪でもひかれてはたまらない。
思わず、高い玄関ホールの天井を見上げて目を閉じる。
「……とりあえず、主電源だけ入れればいいんだよ……ね?」
ロキは、そこにはいない闇野に確認するように、心細げな声で独り言を呟く。内心では冷や汗かきまくりだ。なにせ、テレビの電源を入れるのさえ倦厭しているのだから。
「爆発……とかはしないだろうけど……自信ない」
なんとも不安な台詞が続くが、幸いにもそんな弱音を聞く者もそこにはいなかった。
たっぷりと一分間、ひえひえの玄関に立ち尽くしてから、難事件・怪事件よりもやっかいな相手に立ち向かうべく、ロキはメインコントロールパネルのある小部屋へと向かうのであった。
* * *
「やっぱりロキ君のトコって、クリスマス・ツリーなんて飾らないんだ」
なんとか無事に暖房は動き出し――留守番のえっちゃんに操作方法を教えてもらったなんて内緒だ――あたたかくなってきた部屋の空気にロキはひそかに息をつく。
まゆらがいれた紅茶も揃えば、いつも通りの書斎の雰囲気だ。
「クリスマス・ツリーなんて元からないし。まゆらんちはなんでもありそうだね。まゆらパパは神主なのに、無節操な日本人の代表みたいに」
「だってクリスマスはイベントなんだもん、楽しまなきゃもったいないよ」
だからそれが無節操だっての。
ロキはそう続けたかったが、紅茶のカップに続けてぽんっと書斎机の隅に置かれた物体に思考を停止せざるをえなかった。
「これくらいはいいでしょ?」
そこには、高さ十五センチほどの、小さなクリスマス・ツリー。
ぴかぴか光る豆電球のかわりに、赤や青や緑の大粒ビーズが飾られていた。
赤い靴下や、綿で膨らませたプレゼント袋もぶらさがっている。
金と銀のモールも飾られ、小さいのになんともにぎやかなツリーだ。冬でも色あせないモミの木に似せた緑が目にあたたかい。
「……ま、いいけどね」
にぎやかなのが好きなまゆらのこと、今更驚きはしないヨ。
ロキは言葉のかわりに、まゆらがいれた紅茶を手にする。やわらかく甘い香りは、どこかのクリスマス限定発売の茶葉なのだろう。きっとこれも、まゆらの持ち込み。
よくよく見れば、まゆらが選んできたティー・カップの絵柄は、白い百合。聖マリアの花。どこまでも今日はクリスマス気分で行きたいらしい。
クリスマス限定の紅茶、クリスマス・ツリー、聖マリアの花と続いてクリスマス・プレゼントが出て来ても驚きやしないぞ。
いや、もしかしたら、その前にクラッカーや賛美歌かもしれない。『三十四丁目の奇跡』の映画鑑賞会でもはじめそうだ、彼女の場合。
さぁなにがきても驚かない、と無意識に身構えていたからか
「メリー・クリスマス! ロキ君っ」
なんて言葉とともにプレゼントらしき包みをクリスマス・ツリーの隣に置かれた時は、また違った意味で思考が停止した。
……身構えてたのにっ!
「……クラッカーとか賛美歌とかクリスマス映画の鑑賞とかはないの?」
思わず恨めがましくなってしまう。
「あ、それいいね。来年はそれも準備してみようっ♪」
うわぁ、無駄に知恵をつけてしまった! 来年はもっとイベント事が増えそうだ。
そこまで考えて。
『来年』って……無意識に一年後へと思考を飛ばしてしまったけれど『来年』って――あるのだろうか。まゆらたちとの間に。
いつまでもここにいるつもりなんてない。ボクは……ボクたちはいずれ『神界』に帰る。帰らなきゃならない。
それに――来年もまゆらはここにいてくれる? それを望む? ボクではなく、彼女が――……それこそが、不確定な、儚い希望の上に成り立っている奇跡の連なりに過ぎないのに。
いや、そう考えるのは無意識の願望。誰がそれを最初に望むのだろう、いつの間にそれを望むようになっていたのだろう。無意識に――強固に。彼女ではなくボクこそが望んでいる??
当たり前に感じていた存在の大きさに……打ちのめされる。
「――ロキ君?」
ふと、考え込んでしまっていたらしい。
はっと気がつくと、まゆらが心配そうにこちらを覗き込んでいた。ずかずかと踏み込んでくる押しの強さと、案外と奥まで踏み込もうとはしない弱さを持った彼女の目がすぐそこにある。
「クリスマスのプレゼントは許容範囲超えちゃってる? だったら、わたしの自己満足でいいから……」
「ちが……っ! 違う、そうじゃなくて……」
言葉が――続かない。
いつもの書斎机に置かれた、大きな包み紙。青地に白い星と雪が散らされている、クリスマスのラッピング。紺色のサテン・リボン。
あぁ、なんて言えばいいのだろう。なんて言えば彼女にわかってもらえるだろう。考えてしまったのはそんなのじゃないと。
ロキはその包みを前に、暖房の電源とは比べようもない程に途方に暮れる。
「……開けてもいい?」
無意識に呟いた言葉は、そんな感情のこもらないもの。
「うん、開けてみて?」
定位置に腰掛けたまま腕を伸ばして取り上げた包みは、大きさに反して軽かった。ふわふわとした感触だ。
彼女の性格からして、マフラーとか、そんなものじゃないだろうか。屋敷の前で振り返った彼女の眼に、こちらを寒そうだと感じている色が閃いたのを見逃すはずがない。そんな彼女の方こそが、手袋もせず、白い足も冬の空気に惜しげもなく晒して心底寒そうであったのに。
そう考えている今のおのれの表情は、きっと、今まだ降らぬ雪の白より冷たくなっているのではないだろうか。そうわかっているくせに、嘘の笑みひとつ作れはしなかった。
無表情のままリボンを引き、包みを開けたそこには……ダークグリーの、布の海があたたかく広がっていた。
「かぎ編み……?」
細いダークグリーンの毛糸を十センチ四方の細かな模様編みにしたものを、交互に連ならせて大きな一枚の布状に仕立てたものだった。触れたところが、じんわりとあたたかくなっていく。
「うん。ロキ君、本読む時とかひざ掛けも持ってるけど、もうどれだけ考えてもこれしか思いつかなくって。だってロキ君、半ズボンなんだもの。足元寒そうで寒そうでっ。冷え性になっちゃうよ。絶対もう一枚重ねた方がいいよ」
「……寒そうって……」
まゆらの方がよっぽど寒そうなんだけど。ミニスカート。
そう言いたいけれど、やっぱり言葉を飲み込んでしまう。
「なんか……凄い時間と根気がかかってそう」
紅茶ひとつ満足に入れられない家事スキル完全ゼロのロキからすると、このかぎ編みのブランケットにどれだけ時間と根気がかかっているかなんてわからないけれど、誰がどう見ても、これは――大作。細かな網目に、複雑な模様。ふんわりと軽くてあたたかいブランケット。
「あ、あのね、手編みのセーターとか、そんな風にはとらないでね。そんな意味じゃないから、ホント。だってロキ君たちに既製品ってなんか想像つかなくって……」
まゆらがベラベラとしゃべり続けているのは――ロキの顔が無表情のままだからだろうか。
あぁそうか。ロキはふと気付く。
彼女が甘めの紅茶をいれてくれたのは、彼女自身はっきりとわかっていないかもしれないけれど――ささくれ立ったままの、ボクの為。あたたまりつつある部屋の温度よりも、甘い香りとその味にほっと息をついた事実は勘違いの一言で済ませられない。
無意識の気配りなら、彼女は最強。
「なんだか……こんなとこ、キミには敵わないなぁって思う時があるよ」
「ロキ君……?」
まゆらは不思議そうに問いかける。先まで無表情だったロキが――ブランケットを手に、穏やかに笑ったからだ。まるで、温室にでも入ったかのようなまろやかな温度変化は、あまりにも唐突なもので。
「結構ヒトのこと見てて、そこから考えてる」
「そ……そうかな? 編み物、嫌いじゃないもの。闇野さんにはマフラーを作ったんだけど、絶対闇野さんの方が上手だよね?」
それだけじゃないよ、との言葉は飲み込んだ。勘違いしているのなら、それはそれで良いし。
そう思えたのは、ようやっと戻ってきた、余裕のたまもの。
「いや、綺麗に作れてるよ。あったかいし」
そんなに褒められるほど上手じゃないから、あんまり見ないで……
あわてて付け加えるまゆらの目の前に、小箱がすっと差し出された。微笑んだままのロキとの間にある、クリスマスの包装もしていない、ビロードを張られた小さな箱。
「メリー・クリスマス、まゆら。絶対あっと言わせられるプレゼントだと思ってたのに、完敗だから悔しいけど」
「ロキ君からの、クリスマス・プレゼント……?? うそ、信じられない」
元から大きな目をまん丸にして絶句するまゆらの様子に、ロキは苦笑いする。
今まで女性にプレゼントをしたことがないとは言わないけれど、こんなのガラじゃないと重々承知。
だいたい、それらの『プレゼント』だって、その先にあるだろう騒動を期待してのたんなる『エサ』に過ぎなかったのだし。『想い』なんてものはかけらも込められてはいなかった。
「まゆらがいたら結局はこんな結果になっただろうから、もう諦めた。キミのイベント好きは半端ないし」
「……指輪、とかじゃないよね?」
「それいいね。来年はそうしようか?」
「そそそそそそれってどう言う意味っ?!」
まゆらはあからさまに動揺してしまった。ロキの言葉の内容もそうだが――その言葉が先の自分の言葉と一緒だと気がついたからだ。そして、そんな混ぜっ返しが得意なロキが、今日に限ってその混ぜっ返しの数が少なかったのだと気がついたから。
どうにも今日のロキは様子がおかしい。よくよく考えてみれば、今日はここで会った時からして、いつもと違った。
「……開けてみてもいい?」
どうぞ? とばかりに小箱を掲げてみせるロキは、どこか余裕すらかもし出している。これが、先ほどまで、はっきりとわかるほどに無表情でむっつりと黙り込んでいたり、かと思えば急に慌てたり落ち込んでいたりした子供と同一人物だなんて信じられないまゆらであった。
そうか、ロキ君、落ち込んでたんだ……。
今更ながらに、今まで強く感じていた違和の正体に気がついて、まゆらは胸が詰まりそうだった。
いつでも冷静で辛辣で強気。ゴーイングマイウェイ。他人は他人、自分は自分。そんな印象の強い彼の心がふらふらと揺れている。
『……そんなところ、繕わずに見せてくれるんだ』
そう思ったらもう駄目だ。自分が彼にとっての『特別な存在』として見てもらっている錯覚に酔いそうになる。
目の前に掲げられたままの小箱も、その錯覚を強調しそうで――指が知らず震えた。
ロキから受け取ってそっと開けたその小箱の中には、赤い宝石を配置されたブローチが静かに座っていた。
「これって……ガーネットのブローチ……」
中央に一際大きく濃い赤い石。それをぐるりと取り囲んで小石が五つ配置されていた。その小石をひとつ飛ばししながら内包し、花びらを形作る、つやを消した金糸のアンティーク細工。
沈んだガーネットは、光に透かせば驚くほど明るい赤に輝いた。
「これ、もしかして……」
この細工に細い金の鎖をつけたものを、ロキが身に着けていた。確かあれは、秋のはじめ頃。
『わぁ、そのブローチ、かわいいね』
『アンティーク・ショップで見つけたんだ。結構気に入ってる』
そんな会話をはっきりと覚えている。
あの時のデザインとは微妙に違っていて、どことなく華やかになっている気がするけれど……これは確かに、ロキのもの。
「……かわいいって言ってたでしょ?」
そんなささいな会話を覚えていてくれた?
もしかして、プレゼント用に作り変えてくれた……?
そうだったら嬉しい。
でも。
「こんな高そうなの、もらえないよぉ」
今度はまゆらが途方に暮れる番……だったけれど。
「まゆらのクリスマス・プレゼントって考えてたら、もうどれだけ考えてもこれしか思いつかなくって、ネ?」
「〜〜〜〜ホントーにロキ君、本調子になってきたみたいねっ」
一字一句間違えずに自分が告げた言葉を繰り返すロキに、なんだか、嬉しいを通り越して恥ずかしくなってきた。今のロキの感覚が、すべて自分を向いているのだと気がついたから。
「プレゼントって、お金が価値のすべてじゃないでしょ? だから、ボクの負け」
「……プレゼントって、勝ち負けでもないもの」
「うん、そうだね。でも、あっと言う度合いだったらまゆらの方が大きかったし」
あの、わたしだってものすごーく驚いたんだけど……ロキ君、クリスマスなんてバカにしてそうで、絶対プレゼントなんか気にしてなさそうだったから、もうそれだけでびっくりなのに。
それに……それに、気に入って、大切にしていたモノをプレゼントしてくれるって、普通のモノを贈るより、もっと、ずっと心が……こもっているようで。
まゆらは恥ずかしくて恥ずかしくて、もう言葉が続かない。
なんだろう今日のロキ君、やっぱり変。本調子を通り越して……余裕も通り越して……超余裕でなんだか大人っぽい。一歩ひいてくれる会話と優しさなんて、慣れていないから……恥ずかしい。でもそれは決して不快なものではなくて。
「来年もこうして祝えたらいいな」
ロキが、そんなことを、少しばかり寂しげな口調で言うから――嬉しくて恥ずかしくてたまらないのに、ちょっとだけ悲しかった。
* * *
『ホワイト・クリスマスになったらロマンチックだね』
帰宅した闇野や、プレゼントと手作りケーキを両手に遊びに来た玲也たちとミニ・パーティを楽しんだ後、そんな言葉を残して家へと帰って行ったまゆらの願いは残念ながら叶いそうもない、月の美しい夜。
ロキは窓辺から白い月を眺めやっていた。その細い肩を、ダークグリーンの海が包んでいた。
ふと、今日の夢を、思い出した。
白い太陽の下を。白い月の下を。
おのれが何者なのかも、おのれの内になにがあるのかも知らずに、たださ迷い歩いていた時の記憶だった。
寂しいとか嬉しいとか、そんな言葉も感情も知らずに歩き続けていた時は、苦しいなんて言葉も知らなくて。
今との差異に――イライラしたのだ。
そして、ただ歩き続ける昔の自分が可愛そうにも感じられて。
目が覚めても、その残滓がまとわりついていて腹が立ったのだ。
街に出れば、神の存在も信じていないくせに、無責任に浮かれた人々。
どこまで行ってもこの『人の群れ』に溶け込めるわけがない、異質な自分をまざまざと思い知らされて。
今の生活も楽しい。そう感じていたのは、単なる錯覚に過ぎないのだと突きつけられる。
誰が悪いわけでもなく、単なる『事実』が妙に悔しい。
不機嫌を囲って家へと向かえば、まゆらが燕雀探偵社へと向かうのだろう、小走りに駆けている後ろ姿を見つけて。
「うわぁ、さむっ」
――今、ボクも同じことを考えていた。
何時間もくさくさとした気分だったのに、彼女のそんな一言で不本意にも癒されてしまったおのれのありようが情けなくとも嬉しくて。
少なくとも彼女にとっての『ロキ』は『異質』ではないのだと、不覚にも喜んでしまった。
彼女に優しい気遣いを向けられるのは心地よくて。
彼女や、彼女たちのことを考えて、随分と前から普通にクリスマス・プレゼントを用意していたおのれの変わりようもおかしくて。
世界中の人たちにおのれの存在を受け入れてもらおうなんて思わない。それは傲慢以外のなにものでもないから。
そう考えられるようになっていたおのれの心に気がついた。全を手に入れるか、それとも全に拒絶されるか。その極端をまわりに突きつけていた過去のおのれの愚かしさ。
今はただ、優しい気持ちを向けてくれる、手を伸ばせばそこにいる人々が認識してくれるだけで良い。素直に、そう思えた。
こんな気持ちが心の中にあるのなら、もう、寂しさや嬉しさの意味を知らない頃には戻らないだろう。
それがいつまでも続く夢ではないとわかっていても。
――― 来年もこうして祝えたらいいな ―――
この願いは、嘘にもならない、幻よりも不確かな……叶えてはいけない希望だとわかっていても、願わずにいられない。
また来年も、この優しい空気があればと。
良い子には、サンタがプレゼントをくれる。
そうであるのならば、蜘蛛の糸よりも細い奇蹟を紡ぎ合わせた、この居場所こそが、望んでもサンタには与えられない、プレゼント。
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