上書き不可能 








 燕雀探偵社の所長は、筋金入りの出不精だ。
 調査ときまぐれな散歩と甘味めぐりと本掘り以外はほとんど屋敷に閉じこもりで、近所でも有名な謎の不登校児。
 そんな彼がここ暫く、出不精に輪をかけているのだと気がつかない家人ではなかった。

   * * *

「ロキ様、最近なんだか変なんですけど」
 主であるロキの優秀な執事であり秘書であり、有能なハウスキーパーであり、絶賛的な料理人でもある闇野が、恐る恐るの口調で切り出した。
「どうしたの、ヤミノ君?」
 ロキはと言えば、いつもの定位置からちっとも動こうとはしない。手の中にはずっしりと重そうな本があり、執務机は読書台になってしまっている。くつろぎの友である紅茶もぬかりなくセットされているので、もはやこれは完全趣味の時間だ。探偵社の看板を掲げている身であるのに依頼人を待ち望んでもいない態度が丸分かりである。
 まぁ、そんなロキの態度も今更なので、闇野は特になにも感じてはいない。ある意味、ロキに毒されきっていた。
「いえ、それが……最近なんだかやたらと鳥さんに懐かれている気がしまして……」
「…………鳥に?」
「そうなんです。今日も商店街に買い物に行ったら、帰る頃には後ろに鳥の群れが。青菜でも買おうものなら肩と言わず頭と言わず居座られて、いつの間にか葉っぱをつつかれている具合でして。ちょっと困っています」
 それならボクも! と、フェンリルが同意した。
「庭でごろごろ日向ぼっこしてたら、やたらと鳩とスズメがまとわりついてきたんだ。この前なんて、鳩とスズメの真ん中で日向ぼっこした」
「兄さんの方はなにやら楽しそうで羨ましいです」
「楽しいなんかあるわけないだろ。あいつらときたらクルッポークルッポーうるさいし。ちっとも眠れやしない」
「へぇぇぇぇぇ。鳩とスズメと日向ぼっこ」
 なにやらロキの様子が変である。声は不自然に上ずり、視線がうろうろと彷徨って明後日の方向を向いている。
 あからさまな挙動不審。あからさまに怪しい。
「……そう言えばロキ様、最近、気まぐれな散歩もまったくされてないですね。どうされたんですか、体調でも悪いのでしょうか? 健康の為には一日一万歩ですよ」
「最近、ボクの散歩も一緒に行ってくれないね、ダディ」
「本屋めぐりもご無沙汰のようですし」
「東堂のたい焼き買いに行こうねって約束もすっぽかされてるし」
「いや、あの、その……………ゴメン」
 ロキは、これ以上先には行けないと知りつつも椅子に背中を押し付けるようにしてちぢこまるしかない。
「だって、街の鳥たちに三段重ねでお願い聞いてもらっちゃったから、まだその余波が残ってるのかなぁ……なんて?」
 声を聞いて。問いを訊いて。命を聴いて。
 三段重ねのお願いをしてからそんなに日数は経っていないので、律儀な鳥たちは心配して息子たちの監視を続けているらしい。
「お願いの上書きってできないんですか?」
「……上書き不可能」
 ぼそりと呟いた返答は、かの地で掲げていた『ルーン魔法の達人』『邪神』の看板には相応しくない弱気なモノ。
 高位者から下位者へ命を下すのは術者の負担が大きいが、短期間に二度ともなれば下位者の負担が増してしまう。この街の鳥たちが不自然に大量死したり異常行動を起こす原因になどさすがのロキもなりたくはなかった。彼らからロキの声の影響が消えるまで、じっと我慢するしかないのだ。
「ボクだって、屋敷から一歩でも外に出たら鳥に囲まれて結構楽しい格好になるんだよ。まるで、全身に蜂をたからせて喜んでるオジサン状態」
 しっかり意識してないとあっと言う間に全身隙間なく鳥にたかられて息もできなくなるから外にでないのっ。
 開き直れるはずもない立場なのに完全開き直ったダメな父親に、
「ロキ様って……本当にやることが極端と言うか後先考えてないと言うか」
 闇野が珍しくふかぶかとため息をついてから
「身内には三倍砂糖放り込んだ生クリームよりも甘い方ですね」
 にこりと言い放ったので、ロキはいたたまれずに拗ねた。『後先なんか考えてられる状況じゃなかったんだからしょうがないデショ』ともしょもしょと口先だけで訴えながら。
 親馬鹿と言いたきゃ言えばいい、と開き直りきったロキの表情であったが、息子たちは顔を見合わせて幸せそうに笑うだけであった。




魔法の影響も無害ではないようで(笑)。