バレンタイン・デーの怪談 






 お正月、成人式とイベント尽くしであった時期が過ぎると、しばし世間は静けさを取り戻す。
 けれども、水面下では着々とはかりごと――製菓会社の思惑と乙女たちの一方通行の熱い想いは具現し、ある日突然男どもを襲うのである。
 その乙女たちの熱い想いが純粋無垢であれば良いものの、世間にはそんな甘い言葉ひとつで切って棄てられはしないことだってあるのだ。
 その恐怖の日を指して人々は言う。
 バレンタイン・デー……と。


 その日、燕雀探偵社の所長であるロキは、いつもの定位置で身をわななかせていた。
 そして、不可解な叫びを上げるに至る。
「この世の食べ物は、おおまかに二種類に分けられる!」
 だからなんだと言いたい主張ではあったが、彼の様子があまりにも普段とは違うので誰もつっこめやしない。
 ロキは続けた。
「食べ物とは、好みのものか、好みじゃないものか! それ以前に、食べられるものか、食べられないものかの二分しかないっ!」
 変な言葉を次々と口走っている彼の顔は、『蒼白色』に塗り込められていた。
 いつものように脇に控えた闇野青年も、変になった主を嗜める余裕はない。なにせ、こちらも状況は同じであったからだ。
「この世の食べ物は確かに二種類に分けられます。私がつくったものか、他人がつくったものか。ロキ様に召し上がっていただきたいものか、召し上がって欲しくないものかっ」
「そんな世の区分の中で、好みじゃない上に食べられないものの筆頭は……」
「他人が作った上に、絶対にロキ様が食べてはいけないものの最たるものは……」
 ヴェルダンディー(さん)がつくったものを置いて他にないっ!
 最後の一文は、親子して綺麗にはもった。なにかの効果音よろしく、言葉の後に続くのは犬の遠吠えだ。
 彼らの前にあるのは、綺麗にラッピングされたみっつの小箱。今朝方、郵便受けに入っていた品であった。
 ひとつはあからさまな手作りの品であった。ショッキングピンクの包装紙に、特大の真っ赤なハートのラベル。そして、なんとも言えない、甘いような、酸っぱいような、香ばしいような、苦いような匂いがぷんぷんとあふれ出していた。包みを開けるまでもない、ノルン三姉妹の末娘スクルドの品に違いない。ある意味これも絶対に食べてはいけない品であるが、一生懸命さがだだもれな、見ているだけなら微笑ましい品だ。
 慎ましやかなラッピングの小箱は長女ウルドだろう。掴み難い性格に相まって中味も想像し辛いが、まぁ彼女のこと、とりあえずはまともな品が入っていると思われる。だが、時折『意表をついて』とんでもないことをしかけてくるのもまたウルドの特色でもあったので要注意だ。
 その両極端な包みに挟まれて存在しているのは、なんの変哲もない箱。なんの変哲もないどころか、この季節になれば全国津々浦々で見られるゴディバ製品。
 だが、消去法によりこの三品の送り主を想定するに、該当人物がそのまま既製品を送って寄越すなんて考えられない。否、考えてはならない。それは即『死』を意味する。
 彼女相手にはいつでもサバイバル精神を忘れてはならない。彼女の影がちらつく時は就寝時も背中に目を。会話の中で揚げ足を取られないように細心の注意を。彼女手ずからの食べ物を体内にいれるなんてもっての外。他人を蹴落としてでも関わりを回避すべき存在。それでもまだ足りない、恐るべしノルンの次女。
 あの、楚々としたみてくれまでもがなにかの陰謀か嫌がらせかと勘ぐってしまうほどの存在。
「どうせなら三人ひとまとめにして贈ってくれたらいいものを」
 ため息をつきつき椅子から立ち上がったロキの手には、みっつの小箱。
「そうしたら、こんな、食べ(られるかもしれないけど絶対に食べたくない)物を粗末にするなんて罪悪感が少しはマシだろうに」
 ため息をつきつき彼が向かったのは、部屋の隅に置かれたゴミ箱。
「あぁなんて罪深いボク。カミサマ、お許しください」
 嘘くさい涙を心の中で流しながら白々しく嘆くロキは、問答無用でゴミ箱の中へと手にしたものを投げ込んだ。
 後ろでは、闇野とフェンリルが『食べ物を粗末にする現場』を見て見ぬフリしている。父親のかわりに挑戦者と言う名の犠牲者になる根性もないのなら致し方ない。世の中には『絶対悪』と言う素晴しい言葉もあるのだ。多分に意味合いが違っていようともすべてをそこに押し付けて知らんぷりを決めつければ同じこと。
 そうして燕雀探偵社は、所長の英断によっていつもの平和を取り戻したかに思えたのだが。
 その日の午後、燕雀探偵社をそろって訪れたまゆらと玲也がゴミ箱の中身を見つけ
「ロキ様、他の女の子からもチョコレートもらったですか……それでそれを捨てるですか……お嫌いなんでしょうか、チョコレート」
 それとも……? と疑問系で言葉を詰まらせ、ぎゅっと両手で握りしめたのは、玲也が用意したゴディバのチョコレート。
「ロキ君、ひどいっ。食べ物を粗末にした上に、今日のチョコレートは女の子の勇気なのにっ」
 盛大なる誤解でまゆらに憤慨され、騒動はまだまだ続きそう。
 果たして、諸悪の根源となったヴェルダンディーのチョコレートは、なんの手も加えられていない既製品であったのか。それならばこの騒動を見越しての既製品であったのか。
 食べても騒動。食べなくても騒動。彼女が少しでも関わっただけでも大騒ぎの坂道を現状はごろごろと転がりだして止まらない。
 ロキは、目の前で繰り広げられるさざめ泣く少女と憤慨する女子高生を遠い目で眺めやり、ひそかにほくそえんでいるであろう『現在の女神』を怨むのであった。




ロキさんって……ほんっとーにヴェルねぇさんが怖いわけね(笑)。