赤い月は泣いている 

【 4 】






 まゆらをさがして彼女の通う学校方面へと向かっていたロキは、黒々と濡れた瓦屋根の住宅の庭先についと突き出た梅の花に気づいた。雪の白よりも白く、そしてやわらかい白梅の花びらがふわりと咲きほころんでいた。
 まだまだ寒くとも、暦の上ではすでに春。花は咲く時を違えはしない。
「櫻折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」
 櫻は傷に弱く、そこから病気になりやすいので枝を折ってはいけない。梅は成長がはやいので適度な剪定が必要。つまり、その逆をする者は真正の馬鹿。
 そんな場合ではないのにそんな言葉を思い出してしまうのは、あんまりにもぼんやりとしすぎだろう。
 頭が動いていない。いや、頭の中でずっと低い警鐘が鳴っていて無意識にそちらに気をとられ冷静な判断ができない、が正解ではないだろうか。
「警鐘って……なに」
 自問自答するが明確な答えなど出てくるはずがなく、ロキは再び思考の海へと沈み込む。
 警鐘。予感。違和感。肌で感じる空気はどこか鋭敏で。
 形にならないそれらはロキになにかを教えようとしていながらも、故意にミスリードを誘っているようで。焦りだけが募り、更に冷静さを欠く。
 らしくない、と呟いて、ロキはやわらかい梅の香りを振り切る為に公園方面へと足を向けた。
 そこで彼は、思いもよらなかった人物へと対峙することになった。
 それは――虹の橋の門番であり、執拗にロキを付け狙う、光の神ヘイムダル。
 闇野の言葉に、ほんの少し考えなかったわけでもない『まゆら行方不明の元凶はヘイムダル説』がロキの脳裏に再び浮上する。
 けれどもヘイムダルは、まゆらを盾にロキへと服従を突きつけるでなく――ロキの胸倉に掴みかかり
「お前――アイツになにをしたんだッ?!」
 怒気もあらわに、疑問をぶつけたのであった。

   * * *

 子供が遊んでいてもおかしくない時間帯なのに、声をあげてはしゃぐ子供ひとりいない小さな公園で、ヒトならざる存在が相対峙していた。
 見た目は、どこにでもいる子供。それこそ、この公園で仲良く遊んでいてもおかしくない年頃の少年たちだ。
 だが、ふたりの間にあるのは、一触即発の空気――それ以外のものでなく。およそ彼らの年頃ではまとえるはずのない不穏な空気に、木々にとまる鳥たちでさえも声をひそめて遠巻きに見守っていた。
「アイツ?」
 頭の奥で警鐘が鳴っている。その形がもう少しで掴めそうで掴めなくてもどかしい。ロキはヘイムダルの手を振り払うのも億劫だった。
 ヘイムダルはロキの様子をおかしいと感じる余裕もないのか、がくがくと揺さぶってロキの意識をひこうとするだけ。
 ロキがヘイムダルに正面から向き合わないのはいつものことだが、今日ばかりは許さないとヘイムダルはは決めていた。真っ向から怒り一色の感情をぶつけるしかできない。それほどまでに、彼は怒っていた。
「しらばっくれるな! さっき見かけた赤い髪の子供のことだ!」
「なんのこと……ボクは知らないよ、ヘイムダル」
 怒りに猛り狂っているヘイムダルを見ていると、頭の動きどころか心の動きさえも鈍くなってくる気がする。凍えて、なにも感じなくなって、ヘイムダルの見当違いの怒りを訂正する気も笑う気力すらなく、ただこの緩慢な時間が過ぎ去るのをじっと待っていればいい。そんな時間は『永遠』に続きはしないのだから。『永遠』なんてどこにもないのだから。
 ――そんな気持ちであったのに。
「あのヴィーヴルの片目まで抉って、ナニをするつもりなんだ!」
 彼の言葉に。
 ロキは、警鐘がなにであったのかを――知った。
 生ぬるく濁り果てた水の夢から覚めた心地すらする。一瞬でクリアになった意識のあざやかさに、めまいまで起きそうであった。今までなにを見ていたのか――自身の感覚が信じられなかった。
「ヴィーヴル?」
「な……なんだよ、答える気になったのか?」
 先まで死んだ魚のように投げやりな目をしていたロキの空気がかわったのを察知して、ヘイムダルは気圧された。
「まさか、ヤツの正体を知らなかったとでも?」
「いや、それ以前だよ。キミの言う『赤い髪の子供』なんかボクは知らない」
 淡々としたロキの言葉に、ヘイムダルも知らず声をひそめてしまう。
「……ふざけんのもいい加減にしろ」
「ボクが知ってるのは、ヴィーヴルの『目』だけだ」
 ヘイムダルはロキの胸倉を掴んだ手を緩めた。
 至近距離で、千里眼と言われた一粒の目で深い緑の底を覗き込む。光が戻ってきた、そんな印象を強く感じる緑の目だった。ヘイムダルの中にある『ロキ像』が微妙に歪んだ感触がした。
「……僕が勘違いしての、差し違えを狙ったって言うのか」
「キミにとっては望むところだったんじゃないの」
「ふざけんな。ヴィーヴルごときの傀儡になってお前を殺すのは意に反する」
『片目を抉られたヒトならざる者』
 その存在に、ヘイムダルが『誰』を連想し、怒りを抱くか。そんなものは、彼らの関係を知る者ならすぐにわかること。うかうかとその策略に乗り、こんなところでロキに掴みかかっているおのれが心底嫌になる。
 ヘイムダルはロキに向ける怒りを無理矢理に捻じ伏せた。
「珍しく意見が合致した。まゆらを攫ったのはキミじゃないかと一瞬考えたけど、思い直して良かったよ」
「ちょっと待て、あの女が攫われたって??」
 掴みっぱなしだった手を離してしまうほどに、ヘイムダルは驚いたらしかった。ついで、片方だけしかない目を細める。ヴィーヴルへ向ける憎しみが溢れ出るのではないかと思えるほどにその目には暗い色が宿っていたが――ヘイムダルに真っ向から向き合うなど数少ないロキはそれに気がつかなかった。
「……腹が立つな。神をふたりも自分の手駒にして相打ちさせようって魂胆。恐れ多いにもほどがある」
 小精霊ごときが! ヘイムダルは吐き捨てた。
「小精霊と言っても、魔力の塊であるドラゴンだ。考えはすこぶる甘ちゃんだけど」
 ヴィーヴルは、両の目、または額に、魔力の源である貴石――ルビーやガーネットを戴くドラゴンだ。
 その貴石が濡れるのを厭うヴィーヴルは、水を飲む時にその石を外す習性がある。そして、その石を手中にした者は、強大な魔力を得て一国の支配者に成れるとも、ヴィーヴルを好きに使役できるとも言われていた。
 個体数が減った昨今では、小精霊と呼ばれても仕方がないほどに弱体化している地域もあるが、その石自体の魔力が減じているわけではない。魔法使いたちにとって、かの石はまだまだ魅力的なマジック・アイテムだ。
「で? ヴィーヴル自体は知らなくて、『目』は知ってるって、どう言うことだ?」
「そんなの聞いてどうするの、ヘイムダル」
「この僕を巻き込もうとした歪んだ性根が気に喰わない。お前も大嫌いだが、今回は……協力してやる」
 嫌々、渋々だとわかりすぎるほどにわかるヘイムダルの『協力』の言葉に――ロキははじめてヘイムダルの目を真正面から見た。おのれが抉った右目の位置は髪の下に隠れて見えないが、左目は燃えるほどに熱い怒気に輝いてみえた。
「……頼んだわけじゃないが、従姉妹の件では助かったことも少しばかりはあったし。お前なんかにいつまでも借りをつくったままなのは気持ち悪い」
 甚だ不本意だと言わんばかりのそっぽを向いたヘイムダルの横顔に、ロキは予感のひとつが目の前にいるのだと悟った。
 今の彼なら信じられる。それが、予感の指し示す方向。
「去年の夏に、アンティークショップで見つけたガーネットのブローチ。今までそれがなになのかわからなかったけど、キミの言葉でわかった。あれは、ヴィーヴルの目だったんだ」
「ブローチ? それでどうしてその目がこんな悪巧みをしてるってんだ? お前のところにあるんだろうが」
 まがりなりにもロキは神の座にあった者だ。その彼のところにあって、たかが小精霊の『目』が悪さをするはずがない。
 だからこそヘイムダルは、ロキの言葉に『ウソだろう』と驚くしかできなかった。
「今、ヴィーヴルの目は……まゆらのもとに」
 どうしてアンティークショップであの品が目にとまったのか。その理由が今やっとわかり、結局はおのれの迂闊さが原因だと知らされてロキは内心で歯噛みする。
 無力なヒトの子のもとで『ただの無機物』から目覚め、力ある者の制御を外れた力の塊が暴走するなんて不思議でもなんでもない。
 それこそが――まゆら失踪事件の、全容。

   * * *

 黄昏に沈む燕雀探偵社。
 人の気配に乏しい屋敷はしんと静まりかえり、熱を失っているように感じられた。
 その屋敷の一室に身を置いて、ロキとヘイムダルは黙りこくっている。
 ロキの足元には、影よりもなお黒々とした毛並みを持つフェンリルがひっそりと控えていた。
 その場には彼ら以外は存在していなかった。ロキがこの街に来た時から彼に従っていた闇野がいるべき場所はぽっかりと空いたままだ。
 だがロキは、彼の不在が少しも不思議には感じられなかった。何故だか――何故なのか、ロキは闇野不在の理由がわかっている心地すらあった。全ては大堂寺 操がこの屋敷を訪れた時から続く、予兆の海の中にある。
 ――嫌な予感がひしひしとする。
 勘の鋭い神ふたりは、じっとその時を待っていた。ひとりは定位置に座り、ひとりは腕を組み壁に背を預けて。
 そして、それは来た。誰も予想していない形をとって。
「まゆら……?」
 静かに玄関をくぐって階段をのぼり書斎へとやってきたのは、なんと――彼らがさがしていたはずの、まゆら。
 呼びかけに口角をあげて薄っすら笑って見せた彼女へ、ロキは眉をひそめる。
「キミは……ナニ?」
 意識せず闇野と同じ問いかけを向けるロキへと、彼女はゆっくりと小首をかしげてみせた。
「やっぱりわかるのね、あなたには」
 わからないはずないじゃないか。ロキはその言葉を飲み込む。
 わからないはずがない。甘く柔らかな造作、華奢な手足に亜麻色の長い髪。まゆらと同じセーラー服をまとっていようと、目の前の彼女はまゆらではないとすぐに知れる。彼女特有の生気や華やかさがない。白い顔には一切の表情がなく、能面にしか見えない。
 いや、それ以前に、目の前の存在はヒトですらなかった。動く人形。まがい物の魂をおさめられた器。
 こんな『モノ』が、あのまゆらであるはずがない。一度でも彼女の名を呼びかけたおのれに腹が立つのに。
 彼女かと見紛う数々の類似は『まゆらの粗悪品』――そんな言葉しか生み出さないもの。
 とことんと嫌になる。こんな粗悪品が目の前に存在していることからして腹が立つ。『傷つける魔の杖』と名付けられたレイヴァテインを手に、壊してしまいたくなる。跡形もなく、粉々に。かけらさえも残さず消し去りたい衝動はいっそ甘やかなほどにロキの内に宿って消えない。
 けれどもロキは、レイヴァテインを呼び出すかわりに、右手をこぶしにしただけであった。
 ヘイムダルは静観を貫くつもりなのだろう、組んだ腕をほどきもせず、ひとつだけの目でロキと人形を見つめていた。
 人形が、口を開く。
「彼女のほかにもうひとり、我が主様はあなたから奪ってしまったわ。あなたにはそれがナニだかわかるかしら」
 ロキの背後に大きくとった窓から、秋でもないのに赤々とした夕日が差し込み、黒くざらりとした影を机に落とし込む。
「もうひとり……?」
「あなたのそばにいつも控えている、生きたヒトカタ」
「ヤミノ君」
「名前なんて知らないわ。ただ、主様があのヒトカタを欲しただけ。わたしにとってはそれ以上でもそれ以下でもないこと」
 どこか投げやりな声だった。本当に闇野に対して、彼女自身はひとかけらの興味も持っていないようだ。
 ロキは質問をかえてみる。
「主様って、ダレ?」
「赤い王様。いえ……下僕、かしら?」
「わざわざ伝言しにきてくれたの。ごくろうさまって伝えてくれる?」
「いいえ、これはわたしの意思」
「へぇ……情けない男の顔が見たかったの。見た目と違って結構悪趣味なんだ」
「――わたしはどうして作られたのでしょう」
 唐突な人形からの問いに、つと沈黙が落ちた。
 ヘイムダルはまだなにも言わない。
「わたしはダレなのでしょう。まさしく『ナニ』と問われるのが正しい存在なのです。そんなことはわかっています」
 ロキはぐっと右のこぶしを握り込む。その顔で――まゆらの顔で『ダレ』『ナニ』なんか言うなと怒鳴りたい。まゆらは彼女以外の何者でもないし、物扱いが誰よりも相応しくない存在であるのに――なまじ造作が似ているだけで、目の前の存在と錯覚しそうになるのがもどかしい。
「それでも問うのです。わたしは『どうして?』と。答えが見つかるはずもないのです。わたしの中には答えなどおさめられてはいないのです。無意味な自問を一笑に伏すのが本当なのです。それでもあなたに問うのです、わたしではない誰かに」
 まゆらと同じ声で紡がれる言葉の羅列はどこかしら歌に似た抑揚。
 人形は続ける。どこか悲しげに聞こえる声で。それは錯覚に過ぎないはずなのに。
「わたしの中におさめられた『心』が告げるのです。ここに来たいと。あなたに逢いたいと。予感と呼ばれる曖昧で漠然とした思考はわたしには当てはまりません。『あなたに逢えばなにかがかわる』と言う言葉がわたしの内にあるのなら、それは『事実』か、はたまた他者からの指示以外にないのです。そしてわたしは重ねて問うのです、わたしはダレだと。あなたこそがそれを定義できるのではないかと」
 両手でそっとおのれの胸元を押えるその仕草は、年頃の少女らしい柔らかさを帯びて見えた。それは錯覚と言い切るにはあまりにも自然すぎる。まるで、まゆらそのものの、仕草。
「キミの中に『おさめられている』のは……」
「大堂寺まゆらのかけら、だな?」
 こくり、と人形は頷く。
 赤く燃える太陽はいつの間にか人の街の向こう側へと沈み込み、闇がその古びた洋館の上へと翼を広げる。
 白く輝く星は東の空に瞬き、探し人を隠しやる夜がその街へと訪れるのであった。



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