憂鬱ノクターン 

【 前編 】






 いささかぼんやりしているか能天気か、無駄に元気に『不思議ミステリー!』と叫んでいる印象の強い大堂寺まゆらがここ数日ぼんやり一辺倒であるのだと、彼女を少しでも知る学友たちは気がつかないわけにはいかなかった。
 少し遠巻きにして彼女を眺め
「なにかあったのだろうか」
 心配しはするものの、その後に続く見解が
「とうとうまゆらも春の季節を知ったか?!」
「万歳万歳あの子もやっぱり年頃の娘だったのね!」
 万歳をしたりほっと安心をしたりと、非常に間違ったところに勝手に落ち着かれ、誰もが遠巻きのまま、彼女につっこんで聞いてみようとはしなかった。
 なにせ、顔も性格も軽く人並み以上に可愛らしいくせに、これまで噂ひとつ漂わなかったどころか、彼女自身、その方向よりも『ミステリー』の優先順位が高いのだとありありとわかっていたので、健全な女子高生の友達としては少しばかり心配だったのだ。そして、彼女自身に正攻法で問いただしてみたところで、具体的な――ある意味、周囲が一番知りたい回答をダイレクトに与えてくれるとも思い難かったので誰も質問しないのだ。見てくれの良い異性や芸能人にミーハーに騒ぐことをしないわけではないが、彼女はとことん本気の『そっち方面』での反応が鈍い。反応が鈍いどころか『スイッチが壊れているのではないか』とのもっぱらの噂だ。万にひとつの奇跡が起きて『壊れたスイッチ』がオンになったのならば、下手につついて元の状態に戻るのは怖すぎる。
 もちろん、ひそかにまゆらは人気があって、同級生はおろか他学年の男子にも狙われていることが今までに多々あったのだと本人は知るはずがなかった。そんなところが『スイッチ』云々のでどころであったりする。あれだけの熱視線にどうして彼女は少しも気付かずにいられるのだ?! と言うわけなのだ。
 当のまゆらと言えば、周囲にそんな誤解をされているとは知るはずもなく、今日もぼんやりと思い悩んでいたけれど。
 とうとう本日の放課後、学校の中でこの悩みを打ち明けられる唯一の存在へと接触を図ることにした。
「鳴神君、なんだか変なの。ロキ君ってば、もう三日も会ってくれないのよぉ!」
「大堂寺……お前……」
 授業が終わって『さぁバイトバイトの飛び込み面接だ!』と意気込んでいるところを無理矢理つかまって無理矢理聞かされた相談が、
『ロキ君が会ってくれない!』
 なのだから、かける言葉をうろうろとさがそうものだ。なにせ、鳴神は、ぼんやりと物思いにふけるまゆらを見る周囲の人間たちの見解を知っていたのだから。何日も思い悩んでいた原因が『ミステリーの宝庫からの締め出し』とはある意味彼女らしいが、彼女の中の優先順位は本当に『ミステリー』が高位置であるのだと思い知らされる。
 いや、もしかしたら複合しているのかもしれないが、無自覚であるのなら成分分析を試みても無意味だろうし、そもそもそんな『乙女の繊細な心のひだ』を分析するなど鳴神にはできかねるものであった。
「でも、留守にしてるんじゃなくて、絶対家にいるの。闇野さんにね、玄関で追い払われちゃうんだけどね、なんかすごーく言葉を濁してるもんっ。『ロキ様とはお会いになれません』って、家にいるってことでしょう?!」
 まゆらは胸の前で両手をにぎりこぶしにし、身を乗り出さんばかりの勢いで力説している。
 なんだ、ぼんやりしているようで結構よく見てるんだと感心せずにはいられない鳴神ではあったが、それでどうしてその話がこちらに振られるのかがいまいちわからない。人間関係その他諸々にあまり構わない、大らか過ぎる雷神であった。
「鳴神君ならなにか知ってるのかなと思って……。あと、鳴神君なら、ロキ君、会ってくれるのかなぁって」
 あ、でも、鳴神君だったら会ってくれるってんなら落ち込む……と、まゆらはひとりで勝手に落ち込み、鳴神をひとり捨て置いてふらふらと幽霊のような足取りで教室を出て行った。
 後には、勝手につかまえられ、勝手に悩みを打ち明けられ、勝手に期待され勝手に放り出された少年だけが残された。
「うん? まぁ、そんなこともあるんじゃないかな。なにせロキはむかしっから気まぐれなヤツだったし」
 遅すぎる言葉は影も形もないまゆらに届くはずもなく、鳴神はぽりぽりと頬をかき、午後の予定を脳裏でつらつらと思い直すのであった。

   * * *

 学校からほどほどの距離を歩いた高台に、その古い洋館は建っていた。良く晴れた青い空に磨き抜かれた窓ガラスが映えている。
 鳴神少年はこの屋敷にたかりに来る度に
『どうして同じカミサマなのに、ロキはお屋敷、オレは四畳一間風呂なしトイレ共同のぼろアパートなのだろう』
 と首をひねりたくなるのだが、そもそもの原因まで追究する気もなく、いつも通りにその鉄門を押し開けた。
 そしていつも通り呼び鈴なんぞには目もくれず、玄関扉を開けようとドアノブに手をかけたのだが……
 ガッチャンッ! 
 屋敷の奥庭から響いた甲高い音とどさりっとなにかが落ちた音に、
『なんだなんだもしかして泥棒か?!』
 手にした木刀を構えつつ向かってみれば。
「やぁ、ナルカミ君」
 そこには、脚立から落ちたのだとまるわかりのロキがいた。甲高い音をたてて倒れた脚立、その下敷きになっているロキ、そんな姿を見てしまえばそれ以上の状況は考えにくいだろう。ご丁寧にも、ひらひらと木の葉が一枚ゆっくりと色素の薄い髪に舞い落ちる演出付きであった。なにをやってもとことんときざったらしい男である。
 だが、
「お前、どうなってんだ??」
 思わず問いかけてしまうのは仕方ない。なにせ、大地に横たわったまま後ろ頭に片手をやって呻いているのは、子供ではなく大人であったからだ。金色の髪に青い目の、かの地であれば当たり前の、よくよく見慣れた人物ではあったけれど、最後に顔をあわせた時はもっとちっこい姿であったはずなのに、どうして??
「うん、まぁ、いろいろあってね」
 ロキは脚立の下敷きになったまま、不自然にうろうろと視線を彷徨わせた。
 とりあえず起きろや、と手を貸す気などこれっぽちもない腐れ縁の雷神は冷静につっこむのであった。


「いやだから脚立から落ちた理由なんか聞いてないんだが」
 場所をいつもの書斎兼応接室へとかえ、いつものように紅茶とクッキーを散々貪り食った後で、鳴神少年はそんな言葉をのたもうた。
「そろそろ鳥たちの産卵の季節だからね、うん。ちょっと巣箱を作ってみたのだな、うん。でもって、脚立に乗って取り付けてみたんだけど、最近この背の高さにはご無沙汰だったからね、うん。バランス崩しちゃったって言うかね、うん」
 なんぞと、歯切れが一切ないもしょもしょ口調の言い訳を延々聞かされれば、ロキの言葉の端を切り取って『んなこたぁ聞いてない』と言いたくもなろうものだ。
「オレが聞いてんのは、なんでモトの姿になってんのかってこと。だってそれって、四日前からなんだろ?」
「……なんでキミに四日前って断言されなきゃならないんだよ」
 そこだけ妙に生気を取り戻した強い口調で拗ねるロキであったが、
「大堂寺が『ロキ君が三日も会ってくれないよ〜〜』ってオレの胸に泣きついたからに決まってんじゃねーか」
 ロキは……先と同じようにうようよと視線を彷徨わせた。
 なんとなく呆けたその表情に
『や、後半はウソ』
 と注意を入れるタイミングを逃し、かわりに鳴神は残りの茶菓子を手早く持参の袋に詰め込みはじめた。
 もしかしたら地雷を踏み抜いたかもしれん、今のコイツが『陰険爆弾の導火線に火がついた状態』だったら逃げの一手は正攻法。と言うかそれ以外に選択肢があるはずがないではないかっ。
 であったのだが。
「……なんで袋に詰めてんの」
 魂が抜けたように見えながらもしっかりと行動を見ていたらしいロキの言葉に、鳴神は片手を口元にあて不自然に笑った。
「おほほほほほ。うちの犬に食べさせるんざまぁすよ」
 日本ではあまりなじみがないが、店での食べ残しを持ち帰る袋や入れ物を『ドギーバッグ(残り物を犬の為に持って帰る袋)』と言うのだが……最近は一般的には言わないらしい。鳴神少年の発言は、いつもどこかずれている。
「キミんち、犬なんかいないじゃないか」
「違うぞロキ。居ないんじゃなくて、飼う余裕がないって言うんだ」
 鳴神は胸を張って貧乏を威張り、ロキはげんなりとして『さっさと帰れ』とばかりに手を振るのであった。


「ロキ様、今日もとっても良いお天気でしたのに、結局あれから外に行かれたのは鳥の巣箱設置だけ……」
 鳴神を追い出してから、書斎にあるソファに長々と仰向けに寝そべって行儀悪く本を読んでいる大きな主に向かって、闇野が幾分恨みがましい口調で言った。
 口調だけではなく今日は無言の実力行使にも出ていて、朝からロキの自室と書斎のカーテンを全部外して洗ったりもした。陽射しが直接降りそそぐ書斎は読書に最適とは言えずさすがに外出するだろうと踏んでいたが、ところがどっこいロキは唐突に巣箱なんぞを作り出すありさまであった。
 それまでにも、普段以上の我が侭を発揮して闇野を困らせていたロキである。
 いつもは本物志向の食い道楽であるくせに、
『ナスカフェのプラチナブレンドが飲みたい』
 脈絡もなく我が侭を言い出し、
『インスタント・コーヒーなんて許せません!』
 父親の血を立派に受け継いだ証明なのか、本物志向も底が抜けて産地直送通販マニアに成長した息子が珍しく反対したのに、最終的にはあの詭弁論術で看破した。
 そのくせ一口飲んだだけで
『不味い』
 と拒否したりするのだからとことんとタチが悪い大きな子供である。
 まぁそれはそれ、そんなやり取りで父親の気が少しなりとも晴れるのであればいくらでも我慢しようと考える健気な息子であるので、第三者が考えるほどにはその我が侭は彼にとってのダメージにはなっていないのが救いと言えば救いであった。
 やはり、我が侭具合よりも、ロキが屋敷にこもりっぱなしなのが闇野には一番気になるのだ。
 闇野がそれほど心配するほどに、思い出すだけでも腹のたつ一連の出来事以来、ロキは屋敷に引きこもり一歩も外に出ていなかった。
 雨が降っているわけでもないのだから、少しは外に行かないと気が滅入るだろうし健康にも悪いと闇野は何度も何度も外出を勧めていたのだが、その気持ちの反対側ではロキの気持ちもよくわかっていた。
 元の姿に戻ってはいるけれど、きっと、外に出たい気分などにはなれないだろう。なにせ、探偵業も休業しているくらいであるし。
 服装も、シャツにこげ茶のベストの完全ラフモードで、外出する気はおろか人と会う気もさらさらないとの無言の主張をしていた。
 けれども。
「せめて、まゆらさんに会ってはどうですか?」
 思わず口にしてしまうのは、その一言。
「ヤミノ君、ボクがまゆらに会ってもなんの解決にもならないってわかってる?」
 本から視線を外しもしないロキ。玲也が貸してくれた世界の大ベストセラーである『ハリー・ポッター』シリーズの原書もとうとう五冊目まできたようだ。日に日に本の厚みが増している。
 まるで、ロキの鬱屈を示すかのような本の厚みに、闇野は心中でだけため息を吐き出した。
「……はい。確かに、解決にはならないですね」
 でも、毎日毎日まゆらを門前払いにしている身としては、思わず提案したくもなるもので。
 門前払いと言えば、と闇野は彼女の様子を思い出す。毎日来る彼女にはほんの少しも歪みなどは見受けられず、探偵社の中に一歩も入れてくれないのを純粋に不思議がり残念がっているばかりであった。
『まゆらさんを守ります』と大口叩いたくせにまったく約束を果たせていない闇野としては彼女のそんな様子に安堵する反面、複雑な気分になったりもしていた。
 せめて、今の彼女の希望を少しなりとも叶えてあげたいのだけれども。罪滅ぼしと言うには些細なものだけど。
「年齢も髪の色も目の色も違いますし、その姿でお会いになってもまったくの別人状態ですから確かにまゆらさんにとってはなんの解決にもなりませんけど……どうしてまゆらさんに会いたくないんですか?」
 魔力を十全に使える大人の姿であるのなら、逆に『子供の姿に化ける』ことだって可能なのに。窓から門前払いを食らわされるまゆらの後ろ姿をこっそり眺めているくらいなら、そうしたらいいのに。まゆらにとっての『解決』にはならなくても、ロキにとっての『きっかけ』にはなるだろうに。
 なのにロキときたら、本から視線を外しもせずにしれっとこんなことを口にした。
「会えるわけないだろ。アンナコトやコンナコトやソンナコトやったのに」
「…………父上、嫁入り前の娘さんになにをやったんですかーッ!」
 闇野が長い長いフリーズの果てにちゃぶ台返しの勢いでロキへと詰め寄ったが、
「いや、やったのはアンナコトだけだけど、ソレも別にはじめてじゃないし」
 キスなんて別にはじめてじゃないし……と思いつつちらりと本の隙間から外野を覗いてみれば、そのあたり純な息子は蒼白な顔で固まっていた。きっと、続きの台詞は耳に入っていないに違いない。
「……わかったよヤミノ君。ちょっとばかり出かけてくる」
 ため息を吐きつつ大儀そうによっこいしょと起き上がればそれだけで機嫌がなおるのだから
『ホント、この子は優しい子だよ』
 と思わずにいられない、迷惑かけっぱなしの自覚がある父親であった。
 であるくせに、そこは素直に『外出する』はずがないところが悪戯と欺瞞を司ると言われているゆえんであるのか。
 外出の準備を終えたロキを見て、長男と次男はなんとも言えない表情になっていた。
「ロキ様、そこまでするほど外出がお嫌だったのですか……」
 げんなりげんなり。言葉のかわりに口から変なもの――例をあげるならば『魂』だ――が出てきそうな闇野に、ロキは笑みを向けた。それは久々に見る彼の笑みではあったが……上品な赤に染めた唇で刻まれた笑みは、魅惑的であればあるほど闇野とフェンリルにとってはげんなりとするもので。思わず父親であるはずの人の姿を頭の上から爪先まで眺めやってしまう。
 白い小造りの顔を彩る淡い金色の髪は肩を超えてまだ長く、清水のようにしなやかに腰まで流れ落ち。
 青い目に足す色など不要かと素人なら考えるだろうが、上品なアイシャドウを薄く乗せればさらに深みを増す青い色。その色に淡い金糸のまつげが影を落とせば、なんとも言えない艶やかさが加わった。
 細い首、豊かな胸元、くびれた腰とそれに続く足のラインなど絶妙なもの。
 それらを包むのは、冬の季節に咲いた薔薇色のスーツ。
 白いロングコートを軽く羽織っているその姿は、どこからどう見ても妙齢の女性だった。それも、すこぶるイイ女。
 けばけばしさと派手さと清楚さと品位を保てるぎりぎりの境界線に似た危うさは、独特な魅力すらあった。
「じゃ、出かけてくる」
 声も、あでやかさがしたたり落ちそうなほどに色っぽい。
 ひらりと手をふられると、淡い紫に染めた爪が花びらみたいで大層綺麗だった。
 だが、後に残された息子たちは、吐き気とともに魂が肉体から出て行かないように堪えるのに一生懸命で。
「美人さんなんですけど……怖いくらいに美人さんなんですけど」
「なんであんなに気持ち悪いと思うんだろうな、弟よ」
「まぁあれなら誰に会ってもロキ様だなんてわかるはずないですけど」
「そんなトコはもはや問題じゃない気がする……」
「そうですね……」
 超弩級のファザコンと言えども許容範囲を軽く超える変なものを目撃してしまった兄弟はそろって床に蹲り、胸元に手をあてるのであった。



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女装通り越したロキさんのこのイラストが見てみたいとか考えているバカがここに一匹。