憂鬱ノクターン 

【 後編 】






 ロキはひそかに悩んでいた。
 ここ数日――いや、はっきりと言えば、あの事件以降なんとなくのらりくらりと避けていた対象である彼女がどうしてこんなにも近くにいるのだろう、と。
 もっとはっきりと言えば、カフェの小さなテーブルの真向かいにどうして大堂寺まゆらがいるのだろう。
 振り返って今のおのれの姿を考える。どこから見てもまったくまゆらと関係のない人物に見えるはずである。
 一体なんの為にここまで小細工したと思ってるんだと激しくおのれにつっこみたかった。ホント、一体なんの意味が。これでは、思惑の逆を行っているではないか。
 そもそも、この妙な思い付きが面白いと感じていられたのは、準備をしていた時と、息子たちの反応を見た時と、屋敷の鉄門を押し開けるまでの恐ろしく短い時間だけだった。
 屋敷からさぁでかけるかと意気揚々と鉄門を開けて一歩を踏み出そうとしたその先に目を真ん丸くさせたまゆらが声もなく立っているのに気がついた時、心臓がたっぷり三秒間止まったとロキは確信している。
 それから彼女ときたら恐ろしいほどまでに無邪気な笑顔で
「燕雀探偵社にご依頼ですね!」
 と勝手に決めつけてこちらの手をとってブンブンと振り回す勢いで両手で握手をし、
「そのご機嫌な様子は、うちの気難しい探偵と契約が結べたってことですね!」
 さらに勝手に決めつけ、
「詳細をもう一度おねがいしまーす♪」
 ロキが否定する隙間すら与えず、彼――現在は立派な『彼女』の手をひいてずんずんと街の方へと連れて行き、カフェへと連れ込まれてしまった。
 そして現在、チャコールグレーを基調にした洒落たカフェの窓側席でコーヒーなんぞをすすっている状況ができあがっていた。薄いグレーがかった窓ガラスの向こう側に広がる晴れた空の色がなんとも虚しい。
 ――ヤミノ君、コレのドコが『落ち込んでましたよ』になるってんだい?
 依頼への興奮で頬を薔薇色に染めて『ありもしない依頼の内容』を聞き出そうとするまゆらを心の内で半眼で眺めやりつつ、ここにはいない闇野へとつっこむ。この、普段通りの彼女のどこを指して『落ち込んでいる』になるのだろう。まゆらはいつでもどこでもまゆらじゃないか。何事もなかったのだと錯覚してしまいそうなほどに。
 だが、のらりくらりと言葉を濁している間に、ようやく『落ち込んでましたよ』の言葉の意味がわかりはじめたロキは、段々と居心地が悪くなってきた。
「それで、我が探偵社の探偵はどんな様子でしたか?」
 そんな言葉を向けられてしまっては、なんともたまらない。
「……まゆらさんは……探偵事務所の方なんでしょう?」
 さぐり返す声が変にならないように細心の注意を払えば、
「えへへ。今ちょっと忙しくて、四日ほどロキ君と顔あわせてないんです」
 門前払いを食らわせるように闇野へ指示した本人に向けて嘘をついても嘘になんかにならないだろうに、そうとは知らないまゆらは明るく嘘を口にした。嫌になるくらい優しい嘘だ。
「……そうなの。えぇ、元気、だったわよ」
 嘘でもつかなきゃたまらないとロキは考えて。
 ――ウソ、なのかな? との思考に行き当たる。『元気』はウソになるのだろうか、この場合?
 こんなところで嘘を撤回しても意味がないとは思いつつ。
「そうねぇ、元気は元気でも、カラ元気って種類もあるわね」
「じゃぁ、やっぱり具合が悪そうだとか? ロキ君、結構いじっぱりだから、弱ってるところなんて見せそうにないし……」
 そこでどうして依頼人そっちのけにしてソワソワしだすのやら。ロキは内心でため息をつく。まゆらは探偵業どころか接客業にも向いていないのではないだろうか。
 そんなことを考えている裏っ側で、ロキは高々と両手をあげて『降参』のポーズをとっていた。
 なんだ、この強引な展開はどこまで行ってもボクの為ってワケ?
 そんなにもボクの情報が知りたかったの? 『初対面の依頼人』を有無も言わせず拉致るくらいに?
 ――もう完敗だ、潔く認めるヨ。ボクが悪者です。
 諦めて認めてしまえば驚くほど気持ちが楽になった。どうして強情に門前払いをくらわせていたのか、理由さえも馬鹿馬鹿しく感じられた。なにせこの一連の中では、彼女に非はひとかけらもないのだから。
 そうと気付いてしまえば、このまま門前払いの理由もフォローのとっかかりさえ掴めないのでは進展も改善もしないから。勝手な第三者の立場で、ほんの少し、真実のかけらを撒いてしまおうかと思わないでもなかった。なにを信じるかはまゆら次第だけれど。
「飼い犬ってねぇ」
 突然口にした突拍子もない単語に、まゆらのソワソワがぴたりと止まり、不思議そうな顔になった。彼女はいつでもどこでも、良い意味でも悪い意味でも、好奇心の塊。
「怪我しても、飼い主にすら痛そうなそぶりを見せない子もいるのよ。いいえ、ちょっと違うかしら。飼い主だからこそ、自分が痛がっているなんてほんの少しも見せたくないんだって」
 痛いなんて少しでも弱気を見せたら、自分を大好きでいてくれる飼い主のこと、とてもとても心配してくれるだろう。それはとてもとても嬉しいけれど、自分が大好きな飼い主にはそんな心配かけさせたくなくて頑張ってしまうのだ。
 けして、飼い主を信用していないわけじゃない。弱っていると知れれば他者の標的になる野生の本能で虚勢を張っているわけではない。そこにあるのは、純粋な愛情。
「探偵さんも、そんなのじゃないかしら?」
 そんな自己分析、心底恥ずかしいけれど。
「ロキ君、本当は具合悪いってコトですか?!」
「顔色は良さそうだったから、気分の問題じゃないかしら? ホラ、自分でも気持ちを持て余してコントロールできない時ってあるじゃない。わけもなくイライラしたり、落ち着かなかったり」
「うーん、そうですけど……あんまりロキ君にそう言うのって似合わない気が……」
 キミはボクをどんな風に思ってるの? そんなにいつもいつも強いわけじゃない。それに、移り気はボクの身上だ。
 そう言いたいけれど、ロキは今の姿に気がついて言葉をとめた。
 今のおのれは、良くも悪くも『ロキ』じゃない。
 そんなロキの心境も知らず、彼女は――ふわりと笑った。
「でも、なんとなくわかります。ロキ君、弱音とか結構見せてくれる時もあるけど、これ以上はダメって時は絶対に見せてくれなさそう。本気の本気で不機嫌な時もそう。そんな場合って、自分がいっぱいいっぱいだからじゃなくて、まわりが心配するのがイヤだからって感じで。ロキ君、いじっぱりだけど、案外細やかで優しいんです」
 ……弱いトコロもあるって気付かれてた? そんなトコロも認めてくれる? いや、そんなのはもうとっくのとうに気がついていたけれど。
 それとは別に――『落ち込んでた』なんて――もしかして、心配してくれていた?
「まゆらさんって……探偵さんのこと、スキ?」
 ほんの少し本心を覗いてみたくて、第三者の立場から無責任な直球を投げてみれば。
「大好きですよ?」
 ……ストレートで返されて、余計に本心が計り難かった。
 でも、そのストレートさが微妙にこそばゆい。
「そうねぇ。案外、なんてことない理由があるんじゃないかしら。なにせ、わたしの依頼を速攻で蹴ったくらいだし」
「ロキ君、るりこさんみたいな美人さんは大好きなはずなのに、依頼蹴ったんですか?!」
 心底びっくりした顔でまゆらが叫んだ。
 ちなみに『るりこ』はロキが名乗った偽名だ。ハリー・ポッターシリーズの前に読んでいた推理小説の犯人が『るりこ』だったのだ。
「ロキ君ってば、かわいい系アイドルも美人さんも大好きなんですよ! それでどうしてるりこさんの依頼蹴ったんだろ……やっぱり体調悪いのかなぁ」
 今までの会話の中で一番びっくりしているまゆらの様子に、ロキの方が慌ててしまう。驚くところはそこなのか! と問いただしたくなるのを必死で押える。
「あ……あのね、理由はふたつ、だそうよ」
「ふたつ?」
 まゆらの動揺を遮るように彼女の目の前で指をひらめかす。パープルのネイルの先に飾ったクリスタルが催眠術の振り子のように彼女の視線をしっかりととらえる。
「今、とっても大切なことがあるから依頼を受ける気分じゃないってのと」
 依頼よりも大切なこと? まゆらがこっくりと首をかしげた。
「もうひとつは……赤い服の女は嫌いなんだって」
「ロキ君って……時々、とんでもない理由でワガママだから」
 ――いや、理由のないワガママなんかじゃなくってだな。いやーなことを思い出してしまうからなんだけど。それでいて今のカッコが『赤い服』なのは単なる天邪鬼。だってボク、黒も似合うけど赤も似合うし。
 まぁ、そこまで話す必要もないし、とんでもない理由でワガママなのも今更だからどうでもイイけど。
「そんなふたつの理由で断られたけど、そろそろまゆらさんなら大丈夫なんじゃない? なにせ、赤い服の女じゃないし?」
 まゆらは、こっくりと考え込んだままだ。
「案外、まゆらさんが来なくて拗ねてるだけかもしれないし?」
 事実はまったく違うのだと重々承知していながらも、まゆらがついた嘘を逆手にとって、せっついてみる。
「男の子なんて結構単純なんだから、明日にでも行ってみたら?」
 こちらから『会いたくない』と告げたくせに『会いに行ったら』と一生懸命薦めるのはとても変だけど。
 明日になったら――きっと、会えるから。
「ところで……まゆらさんって結構積極的な方ね。いつもこんな感じで初対面の人でも誘っちゃうの?」
 問答無用で拉致られてからと言うもの、もしもこれがまゆらの得意技であるのなら、おしかけ探偵助手とは言え関係者なのだからなにか騒動に巻き込まれてはたまらない、後で釘を刺しておかなきゃなんて考えていたロキであった。なにせ彼女は、ミステリーの匂いを嗅ぎ付ける能力に秀でてはいても、危機察知能力はポンコツなのだから。
 恐る恐る問いかけてみれば、まゆらはあわてて首を振った。
「いいえ、ホントはとっても失礼だってわかってるんですけど……でもなんだか、るりこさんにはじめて会った気がしなくて……」
「あら、わたしの顔ってどこにでもある顔かしら?」
 内心ひやひやしながらも、そんじょそこらに転がっている程度の美人ではないとしっかり自覚している口調でうそぶいてみれば。
 まゆらはロキの顔を見つめながらぼんやりと考える表情になり。
「どこかで……つい最近、るりこさんに良く似た男の人に会った気がするんですけど、思い出せなくて……」
「男に似ている?」
 思わず鸚鵡返しにしてしまえば。
「男の人に似てるなんて失礼ですよね。でも、その人もるりこさんみたいに美人さんだったんですよ。それだけは断言できます!」
 妙に力を込めて誉められて、ロキは複雑な心境になるのであったが。
 それよりもまず先に感じたのは、困惑と黄昏感。
『ボク』に似た男の記憶が残ってるってことは……ボクの術の腕、鈍った??
『ルーン魔法の達人』とまで言われていた過去との決別を感じて、ロキは魂を飛ばしそうになるのであった。

   * * *

「ロキ君が会えないって、その子が理由だったの??」
 翌日、五度目の正直でようやっと燕雀探偵社の門前払いを解除されたまゆらは、懐かしささえ感じられる応接室で目を真ん丸にしていた。
 視線の先には、五日ぶりに会う探偵社の所長。
 その、子供特有の柔らかい髪にうずもれるようにしてちょこりと座る茶色い物体にまゆらの視線は釘付けだ。
 その茶色い物体は、上から見ても下から見ても、遠くから見ても近くから見ても、チラ見しても凝視しても、まごうことなきスズメ。黒い目をぱちくりとさせて、まゆらには見えない式神のえっちゃんが部屋を横切るのにあわせて右から左に顔をかしげている仕草が可愛らしかった。
「そ。チュン太の怪我も治ったし、そろそろ巣立ちそうだったから。ボクが保護したんだから最後まで見届けたくってね」
 なのにこの子ときたらすっかりここがお気に入りみたいで、一向に巣立とうとしないのだから。
 ロキはわざとらしくため息をつく。そのわざとらしさに、チュン太がロキの頭皮をくちばしでつついた。無言の主張は『ぼくをダシにするな!』だろう。スズメに突かれたくらいでは痛くはないが、なんともくすぐったい。
「な〜んだ、そうなんだ。だったらそう言ってくれれば良かったのに。心配しちゃったじゃない」
「うん……ゴメン」
 理由はまったく別にあるけれど、そんなもの絶対に言うつもりがないから。
 嘘と謝りの言葉ひとつで彼女の気がおさまるのなら、いくらでも口にしよう。
 後ろめたさを抱えたままでキミの顔を直視できなかったからだと告白するくらいなら、それくらい――なんともない。
 

「ロキ様、あの事件での覚醒期間は長かったですねぇ。四日強ですか」
 まゆらが帰った書斎には、普段通りの紅茶の香りが漂っていた。
 ここ数日はソファにのんべんだらりと寝そべっていることが多かったロキは、今はいつもの定位置におさまっている。子供用の椅子であるのだから確かに背の高い元の姿では居心地が悪かったのだろうけれど、定位置に子供姿のロキがおさまっているのが妙に安心できてしまう闇野の複雑な心境であった。
 不条理な要求、いや、不条理な現状にほとほとと呆れ果てたのは、闇野であろうかロキであろうか。きっと両者の心境だ。
「まぁね。陰険なヤツだったみたいだし? 随分と闇が深かったよ」
 もしかしたら『るりこ』に化けて魔力を使い果たしたのかもしれないけれど、昨日の夕方にはいつもの――と言えば語弊があるけれど、子供の姿へと戻ってしまっていて。
 まゆらから逃げ回っている闇野用の理由もなくなってしまったので、物言えぬスズメに原因を押し付けてしまった。
「それでもまぁ、これであの事件の影響はすべてなくなりましたね。まゆらさんの出入り禁止も解除になったみたいですし?」
「ん、まぁ、ね」
 なんとも歯切れの悪いところなどは、もうこの件に関しては触れてくれるなとの無言の主張だととって、
「夕食の仕上げをしてきますね」
 闇野は話を切り上げて退室した。
 その後ろ姿を見送って、ロキは机の上に頬杖をつく。
 そのまま視線は、部屋の隅に置かれたチェストの引き出しにと移り。
「あいつを愚か者と言うと、全部ボクに跳ね返ってくるんだろうな」
 ぼんやりと、心底嫌そうな声色でつぶやいた。
 そのチェストの封じられた引き出しの中には、まゆらに良く似た造作のアンティーク人形が一体、赤いドレスに身を包んで眠っている。白い頬はあわい薔薇色を宿し、かすかに微笑んだ、穏やかな表情であった。
 闇野とまゆらの偽物として作った人形に最終的には我慢できないとわかっているくせにそれを作って、それでもやっぱり本物にも手を出す愚か者。
 こちらに干渉さえしなければ、たった数日で命ごと燃え尽きるだろうと予想ができていた未成熟な片目のドラゴンの愚かな行為は見逃そうと考えていたのに。
 ――我慢が足りないのは自分の性格のあらわれだからその行為を『愚か』と言い切るには立場がないけれど、とロキはひとつため息をつき、その部屋を出るのであった。



《 TOP

ドラゴン事件の結末でした。