春色染まり 







 時期を微妙に外したインフルエンザで数日寝付いていたおしかけ探偵助手もすっかりと完治して、いつもの日常が戻ってきた燕雀探偵社。
 しっかりとソファの定位置におさまっている彼女と言えば、本日はおしゃべりよりも手元に広げた本を吟味するのに一生懸命であった。
 彼女が熱心に目を通しているのは、本、読み物と言うよりは、情報雑誌。はっきりと言えば、カラー写真が多用された、ファッション雑誌だ。
 この年頃の女の子と言えば、おのれを美しく装うことに向ける情熱が恐ろしいものだとロキにもわかってはいたが、その本は少しばかり日常的なファッションからは外れている気がしないでもない。ソファの後ろから覗き込んで見れば、それはどう見ても非日常的な、一見ドレスに見える服ばかりが掲載されていたからだ。
 よそ行きの服によそ行きの髪型、飾りの多い小さなバックと華奢な靴、そしてよそ行きの取り澄ました顔に派手めの化粧を施した若いモデルたちは、一様に晴れやかな笑顔を振りまいているかツンとすましている。
 ドレスの生地も、サテンにシルク、オーガンジーを幾重にも重ねたもの。はたまた繻子か。色もとりどりで、写真の中に様々な花が咲いたか、軽やかに羽をひらめかす蝶でも見ているよう。どのページをめくっても、広がっているのは春の色。
「まゆらどうしたの、そんな雑誌見て」
 彼女が熱心になると言えば、女の子らしいファッションやスィーツや雑貨屋の話や……それからオカルト・ミステリーの話。
 まさかまさか、この雑誌に浮遊霊が写った写真があるとか聞きつけたのだろうか。そうだったら、少しばかり本気で彼女の感性が心配になってくるではないか。彼女の春が似合う外見と中身のギャップにそろそろ慣れそうになるおのれが怖いロキであったが、その心配は杞憂であったらしい。
「四月にね、従兄弟が結婚するんだけど、パパの代理としてわたしが出席することになったの。コートリーホテルで披露宴するんだって。だからもうどんな服来て行こうか迷っちゃって!」
 だってコートリーホテルだよ! なかなか簡単に入れないトコロじゃない! と、まゆらは『コートリーホテル』の名前だけで興奮している。
 コートリーホテルと言えば、この街で知らぬ者がいない高級ホテルだ。なによりも、四十五階からの景観とカフェのケーキが美味しいのだとロキですら噂を耳にしていた。確かに、女子高生がなんの用事もなく足を踏み入れられる場所ではないだろう。
「……ふ〜〜ん」
『良かった、まっとうな方向性で』
 彼女がコートリーホテルに行くことよりも、まゆらがまっとうな理由で雑誌を熱心に見ていたのだとわかったロキは、妙に安心してしまったのだから世の中何かが間違っている。
 ロキが胸のうちで安堵の息を吐いていたなどと知るはずもないまゆらは、うきうきと次のページをめくった。
「ねぇ、ロキ君はどんなのが似合うと思う?」
 ふいに話を振られて、ロキは少しばかり仏頂面になった。折角抱え込めた安堵感など、跡形もなく消え去ってしまうのはなぜだろう。
「……とりあえず、赤色以外」
「赤はダメ?」
 どうしてロキが不機嫌になるのかわかるはずもないまゆらであるが、彼女にわかるはずもない。彼女や闇野を巻き込んだドラゴンが好んだ色が赤などと、彼女が覚えているはずもないのだから。あの事件からまだ一ヶ月も経過していなくとも、まゆらの記憶を消した張本人であるロキにはそれが良くわかっていた。
 それでも言わずにはいられないのは『まゆらには赤いドレスは似合わない』の一言。
「ダメ」
 理由まで説明してあげるつもりはないけれども。
「ふ〜ん、ダメなの」
 まゆらは特段気にもとめていないのか、不思議そうな表情をするだけだ。
「まゆらだったら……あわい色があってるじゃない。あわい色、好きでしょ?」
「う〜ん、どうしてもあわい色とかパステルカラーになりがちだから、ここは一発大人っぽいきりっとした色にチャレンジしたかったんだけど」
「あわい色にしときなさい。ピンクとか水色とか若草色とか。一番似合ってる」
「う〜〜ん、ちょっとは冒険したいんだけどなぁ」
「意表をつきたいんだったらオレンジとか冒険っぽくていいんじゃない? あんまり着ないでしょ、オレンジは。シャーベットみたいにシャリシャリした生地だったら珍しいし似合いそう」
 こんな素材のこんなシルエットが似合う、とロキはデザインまで描き起こすのだから、『ロキ君、服のことまで詳しいなぁ』とまゆらは変な点で感心してしまう。
 だが、段々と本格的なファッション談義っぽくなってきたが、まゆらはまだ納得しかねているようで。
「赤、捨てがたいなぁ」
「赤はダメ」
 なにがそこまでこだわらせるのかわからないまゆらは、ふと思い出してしまった。
「そう言えばロキ君、赤い服の女の人は嫌いなんだってね。それで依頼ひとつ蹴っちゃったって、どうしてなの??」
 ドラゴンの事件から数日後のこと、そう言えばそんなやり取りをまゆらとしたことがあったな……と嫌な記憶を掘り返してしまったロキは、にっこりと笑みを浮かべて
「とにもかくにも、赤はイ・ヤ」
 表情に似合わない言葉をきっぱりと言い切った。
 もはや、まゆらに似合うかどうかではなく、ロキの好みの範疇に入っているやり取りだとまゆらは気がつかない。それどころか、どうでもいいことに気がついたらしい。
「いっそ黒でもいいかも。そうしたらロキ君とお揃いだし♪」
「……お揃いって、ボク披露宴に関係ないし」
 彼女の発想はいつでも突拍子もないけれど……黒のドレス姿のまゆらはちょっと見てみたいかも、とロキがぼんやりと考えていると、
「ロキ君も一緒に出席しようよ。わたしの代理ってことで!」
 思わず目が点になる言葉を口にする、まゆら。
「あのね、それじゃぁパパの代理の意味ないじゃない……」
 パパの代理はわたしだよ? ロキ君はわたしの代理なの。
 まゆらはまったくなにかがおかしいと気がついていない。
『ホントに彼女は突拍子もない』と考えつつ、いつの間にか『まゆらの代理としての出席』を押し切られることになろうとはまだ知らないロキであった。



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実はまだ微妙にドラゴン事件を引きずっている探偵。
そしてこの『コートリーホテル』にまゆら嬢を自分が誘って行くことになろうとは、この時の探偵はまだ知らない・・・(笑)。しかも、すぅぃぃぃとるーむ。