トテモ。

イヤナ。

夢ヲ。

見タ。



 透き通った紺青色の空にのぼっているのは、白く細い三日月。
 その細い光が照らし出す地上は、雪のましろに包まれて、月の光を幾倍にして輝いている。
 しんと静まった清浄な白に、周囲に乱立する常緑樹の緑が映え渡る。

 そこは、森の、ほんの少し拓けた場所。
 森に暮らす小動物たちも、寝静まった時刻。

 その場所で、月の光に包まれた少女がひとり、いた。
 パーティを抜け出したのだろうか、薄手の白いワンピースドレスの上にふわふわしたファーで縁取りされたボレロ。
 耳には雪の結晶のイヤリング。
 小さな足には、淡いピンクのパンプスが。
 人の群れにまぎれても目を惹かずにはいられないだろう可憐な装いだった。

 けれども、その少女を見つめるロキの心は、雪よりもなお凍えていた。
 何故なら、どれだけ記憶の泉を探っても、装った彼女が笑っている顔を一秒も思い出せないから。
 彼女がおのれにほんの少しも笑いかけもしてくれなかったなどと思えないのに。

 それよりもなによりも、少女――まゆらは、冷たい雪の中にふわりと倒れ伏していた。

 彼女が選んで身を飾ったもの以外で彼女を飾っているのは、厚く積もった穢れない白い雪。
 投げ出した手の先の爪は、白いネイルを刷いたかのように色がなく。
 僅かに傾けた顔は白く、ほのかな色のルージュで染めた唇だけが不自然に強い色。
 閉じられたまつげの先には、雪解け水が再び凍りつき。
 背を覆った亜麻色の髪は、力なく地面に広がっている。

『こんなにも雪が積もっていては寒いだろう』

 ロキは、緩慢な思考でそんなことを考えていた。
 いや、こんなにも厚く雪が積もるほどの時間、同じ体勢でいると言うことは。
 もう、もしかしたら、彼女は――……
 しびれた頭でぼんやりと考えながらも、ロキは動けない。

   

――どうして。

   なにが起きて。

   こんなことになっている??



 答えを教えてくれる者は、どこにもいなかった。
『死』の気配もないかわりに『生』の気配もない無音に満ちた雪の世界で、ロキだけが呼吸をとめて『生きて』いる――……







 キミの中に融ける夜 

【 1 】





 五時に起床した闇野が燕雀探偵社の主を起こすのは、朝食も整った六時半過ぎだ。その時間設定は、季節も曜日も関係がなかった。探偵業は出勤も退勤も関係ない勝手気ままな自由業であるので、いつ起きようがいつ休もうが関係ないのだから。
 人一倍寝起きの悪いロキを起こすには、問答無用でカーテンを開けてまばゆい朝陽をさんさんとあびせかけるのが良い手段であるが、さすがに三月の下旬では夏と同じにはいかず、まだ明け染めた弱い光しか部屋の中には訪れてくれない。これでは寝汚いロキを起こすにはあまりにも威力が足りなかった。
 かわりに闇野は窓を開け放ち、まだ気温があがりもしない朝の空気を部屋に満たす。いくら体温でぬくぬくしている布団の中であっても、冷たい空気が無防備な頬をそわりと撫で上げるこの攻撃にはさすがのロキも耐えかねて起きるのだ。
 そんなやり取りが秋の終わりから繰り返されていたはずであるのに、その日の闇野はカーテンを開けたところで違和感を覚えて手を止めた。何故なら、ぐずぐずと寝起きの悪いはずのロキが、もう上半身を起こしていたのだ。
 一緒のベッドで眠っているフェンリルはまだ寝こけているのだろう、丸くなって柔らかい布団のあたたかさの上に座り込み、風の流れに耳の先をぴくぴくと動かすだけであった。
「ロキ様、どうかされたのですか? 窓を開ける前にお目覚めなんて、ここ暫くなかったではないですか」
 自力で起きたら起きたで心配になるのだから、闇野もとんだ心配性である。
「……なにやら顔色が悪いようですけど、熱でもありますか?」
 身を起こしたはいいが、ロキはぼんやりとした視線で上布団を握りしめた両手を見つめているだけでなんの反応も起こさない。
 顔色が悪いと言うよりかは一切の感情を夢の中に落としてきたかのような無表情で、そこにぼんやりとした虚ろな目があると、見ている方にとっては心配を通り越して恐ろしさすら感じてしまう。
 ふよふよとした式神が、ロキの頭の上から顔を覗き込むようにして落ちかけてバタバタと暴れたが、それにすら身じろぎもしない。
「ロキ様??」
「ん……。いや、ゴメン。起きるよ」
 弱々しい笑みをつくったロキがそれだけを口にするまでに、随分と時間は流れた。


 どこか精彩に欠いた朝食が終わり、ロキが食堂から定位置の書斎へと向かおうと玄関ホールへと出て来た時、狙い済ましたかのように呼び鈴が短く鳴り響いた。
 こんな朝はやくから誰だろう。ぼんやりと頭の隅で考えながら押し開けた玄関扉の向こう側には予想に反して誰もいなかった。
 悪戯か、気のせいか。と考えるが、ふと、足元に花束が置かれているのに気がついた。
「誰が……」
 拾い上げてみれば、薄いオーガンジーに包まれたラナンキュラス。
 ロキの動きにあわせて幾重にも重ねられた薄い花びらをふわふわと揺らし、甘い香りを振りまいている。花びらが形作る丸い輪郭は、なんとも言えず可愛らしく微笑ましい。オレンジやピンクや白の明るい花色は、気持ちを引き立たせようとする元気な色だ。
 けれども、オーガンジーよりも濃い色のリボンで飾られたその花束は可愛らしかったが、なにぶんその存在自体は唐突で。
 ロキは花を胸に抱えてぼんやりと視線を目の前の鉄門へと投げかける。
 誰が花なんか置いていったのだろう。
 まるで――たむけのように。
「おはよ〜ロキく〜ん! ねぇ、これからお出かけしよう?」
 花束を腕にぼんやりと鉄門を見ていたら、いきなりそんな声が敷地内へと飛び込んで来た。爽やかな日曜日の朝に相応しい明るい声だ。誰だと視線をやらずともわかる、おしかけ探偵助手の大堂寺まゆら。
 日曜日であるので、彼女はもちろん私服姿だ。季節を先取りしたあわい桜色のスカートにジャケット姿であった。髪には濃い目の紫色のリボンが結わえてあり、その端がゆらゆらと楽しげに揺れている。
「まゆら、挨拶の次が問答無用で『出かけよう?』って……」
 ちょっとは人の予定とか斟酌しなさいね、と言ったところで改善は期待できないだろう。彼女は、出会った当初からこの調子なのだから。
「ん〜〜、ちょっとはやいからロキ君ちで時間潰さなきゃね。お邪魔しま〜す」
 いや、だからその『出かけよう』とか『時間』とかって、ボクが拒否するとは一切考えてもいないような……いや、もういい、あきらめよう。抵抗したところでどうせ無駄な努力にしかならないのだ、彼女の場合。
 ロキは玄関先で花束を抱いたまま天を仰ぎ、やれやれとため息をついてから書斎へと足を向けるのであった。


「チャリティ・コンサート?」
『出かける』と『時間』の理由は、まゆらが持っていた二枚のチケットにあった。淡いやまぶき色のチケットには、デフォルメされた櫻の花のデザインと『春のチャリティ・コンサート 十時開演』の文字。
「氏子のおばさんから押し付けられちゃって。吹奏楽部の息子さんたちも特別に演奏するらしくってね。『まゆらちゃんが来てくれたらあの子張り切るから是非見に行ってやって』って」
「ふ〜〜ん」
 だからってどうしてボクまで? との質問は、最近は愚問の気がして思わず控えてしまうロキだ。
 それ以前に、どうして『息子が張り切る』為にまゆらが行かねばならぬのだ。そもそもそこからして間違っているのではないだろうか。微妙に不機嫌な気分。
 まゆらはロキの不機嫌になどまったく気がつかず、明るい口調でしゃべり続けている。
「それに、特別ゲストにヴァイオリニストの若槻 寿も来るんだって!」
「へぇぇぇ」
 先の投げやりな『ふ〜〜ん』とは色が違う、完全な感嘆が混じった『へぇぇぇ』をロキがもらす。若槻 寿と言えば、ロキですら名前と演奏を知っている、国際的に有名なヴァイオリニストだったからだ。
「ね、だから、行こ!」
 滅多に聞けない『へぇぇぇ』にロキの気持ちを惹けたとわかったまゆらは、問答無用でロキを屋敷から連れ出すのであった。

   ***

 ロキの家から歩いて三十分ほどの場所にある、聖波ホール。小高い丘に設えられた場所に、その白い建物はあった。
 建物自体はなんの変哲もない真四角であったが、大きく取った前広場は赤いレンガが敷き詰められ、ところどころにアンティーク風味の街灯も立っている。『聖波』の名前にちなんだ、建物の左右から中心の出入り口に向かって流れ落ちる波を模した外壁モニュメントもあった。
 季節ごとに執り行われるチャリティ・コンサートは、今回も盛大な内に終わったようだ。
 会場は満席で、近隣の高校の吹奏楽部から、本職のヴァイオリニストの演奏も行われた。
 第一部で高校の吹奏楽部が演奏したアニメソングのメドレーで子供たちは喜び、第二部のヒロイン若槻 寿は、あの細い身体でどうやって音を作っているのだろうと驚くほどに情熱的な音を奏で観客を酔わせた。
 だが、なんと言ってもまゆらが気に入ったのは、若槻 寿の前に演奏された、ラヴェルの『ボレロ』であった。
 同じフレーズが繰り返し繰り返し奏でられる曲であるが、繰り返すごとに楽器が増え、最後には音楽の渦の中にいる心地になった。オーケストラが緻密に編み込むその曲は十六分にも及ぶので、いやがうえにもそのスケールに圧倒されてしまう。
「今日は単体で演奏されていたけどね、ラヴェルの『ボレロ』は、本来バレエの一曲として作られたんだ」
 皆々がにこやかな顔で防音扉から流れ出し演奏会場を後にするのを眺めながら、ロキは午後の光をやわらかく透過させた大判ガラスの下に設置されたベンチで口火を切る。久々の、おばぁちゃんの豆知識だ。
「バレエの曲? だったら、物語があるんだよね?」
 おや、よく知ってるね? と感心して見せれば、まゆらは胸を張って『えへん』と自慢げに威張るが、
「じゃぁ、どんなストーリーを思い浮かべた?」
 問いを向ければ、えへへぇと誤魔化し笑い。
「場面設定は、実は酒場。ひとりの踊り子が酒場の片隅で足慣らしをしているんだ。フルートの音が、踊り子の細い足のステップをあらわしている。その踊り子は足慣らしをしている間に興が乗ってきて、徐々に大胆なステップを踏み始める」
 ふんふんとまゆらはいちいち相槌を打っている。
「そのステップに、酒場の客がふと気付くんだな。ひとりが気付けば、もうひとり、もうひとり……いつしか酒場は踊りの渦になるけれど、楽しい時間も朝が来れば終わる。そんな物語」
「へぇぇ。元気な曲だなぁとは思ってたけど、そんなお話があったんだ」
 まゆらはいつも通り心底感心した目をロキへと向けていたが、その視線がふとロキを飛び越えた場所へと流れた。
 つられて振り返ってみれば、帰宅する客もあらかた出切ったホール外の空間に、コンサート関係者らしい背広姿の大人の中に混じった高校生の姿を発見した。私服姿であっても、遠目であっても見間違えなどしない、垣ノ内光太郎だ。
「まさか……」
「まさか、ね」
 そんな言葉は少しばかり虚しい。あんな、関係者然とした顔の大人の群れに彼が混じっていて『このコンサートとは無関係』だと推測する方が馬鹿らしい。
 そんな間抜けな推理力しか持たないのなら、探偵の看板は今すぐ下ろすべきだ。それくらい彼がこのコンサートの関係者であることは決定事項であった。例え、彼がやる気なさそうな表情であったとしても。
 その傍らには、チャリティ・コンサートのヒロインである寿が立っていた。公式発表年齢は四十歳となっているが、平均よりも低い背丈や小柄な骨格、それでいて華やかな造作や張りのある肌、黒々と濡れた豊かな髪などが相まって十は若く見える。
 だが、テレビや雑誌で見る彼女はいつでもエネルギーに溢れ快活に見えるのに、その時ばかりは険しい表情だと遠目でもわかるのでロキは不思議であった。
 その彼女よりも不思議であったのは、寿の後ろに控えめに立っている、水色のワンピースを着た女性の存在だった。
 寿が一般女性よりも幾分低いのとは反対に、彼女は抜きん出て背が高かった。寿の背後に立っていても、彼女よりも頭ひとつ分高いのがわかる。光太郎との対比から考えると、闇野と同じくらいかもしれない。
 奇妙な一群に興味を惹かれてロキとまゆらは近づいてみると、光太郎が気がついて群れから抜け出してきた。相変わらず目ざとい男である。
 いや、コンサートもとうに終わったのに、まだぐずぐずと残っているふたり組みはあからさまに目立つし、私服姿ではあっても女子高生と黒衣の子供の組み合わせはそうそうないに決まっているから、誰なのかすでにあたりはつけていたのだろう。
「よぉ探偵。面白いところに居合わせてるな」
「念の為に聞くけど、このチャリティ・コンサートも光ちゃん関係?」
「念の為に言っとくけど、俺じゃなくてオヤジ関係」
 光太郎はわざとらしくため息をついた。息子に面倒ごと押し付けやがってまったく、のオーラがありありとあふれていた。
「なに? 厄介ごと?」
 ひょいと群れを覗いてみると、背広の男たちはコンサートが無事に終わった安堵感と寿へのあふれる感謝と、水色のワンピースの女性への幾分控えめな謝辞と……それでいて、この厄介な存在をどうしようかとの困惑、なんぞと言う複雑な色を同時に花開かせていた。
 寿は感謝を向けられているにも関わらず険しい顔で唇を一文字にしているし、その後ろの女性は顔を伏せて肩をちぢこませている。
 彼女は、男たちの感謝よりも困惑の色に全身を染め上げられているようであった。その薄い水の色のワンピースは夏の暑い盛りが相応しいだろう色味で、あたたかくなって来たとは言え今の季節の中では薄氷にも似た感触で、そのまま空中に融け消えてしまいそうだ。
 年の頃は二十四・五だろうか。背のなかばまで流れたまっすぐな黒髪は絹糸の光沢。小さな花飾りのヘアピンで前髪をとめているので白い額があらわになっており、やや伏せ加減の瞳とはかなげで美しい憂い顔を隠すこともできず、内にある困惑とともに曝け出していた。
 ロキはまじまじとその顔を見つめた。彼女はまじまじと見つめられているのにも気がつかず、両手を揃えて床を見つめている。
「どこかで見たことある……」
 どこでだろうと首をひねれば、意外にもまゆらが答えを与えてくれた。
「ボレロの演奏の時にクラリネット吹いてた人でしょう?」
 言われてみればそうであった。元気な曲を構成するには元気な音が必要であるのに、その中に混じったなんとも言えない哀愁を帯びた艶やかな音色が混じっているのにロキは気がついていた。その音はまさしく、彼女そのもので。
「襟の詰まった黒い長袖のワンピースドレスを着てて、お人形さんみたいに可愛かったからずっと見てたの」
「ずっと見てたって……まゆら、視力幾つなの」
「小学校からずっと絶好調の二・0!」
 視力が二・0にしても、興味の対象に向ける女の子の視力は恐ろしい。なにせ、氏子のおばさんがタダでくれたチケットは、中央よりも後ろ寄りの席だったからだ。さすがのロキでも、フルオーケストラに混じったたったひとりの造作を判別できるほどの視力はなかった。
 まゆらが『可愛い』と評した彼女を、改めてまじまじと眺めやる。
「ふ〜ん、確かに可愛い」
 ふと自分を見下ろす視線に気がついて顔をあげれば、そこにはにやにや笑いをしている光太郎がいた。
「ホント、探偵、ちょうど良いところに居てくれたぜ」
「は?」
 なにそのにやにや笑いって珍しく女性に見とれやがって〜〜とかのひやかしの視線じゃなかったの? ロキは思わず身構えてしまう。光太郎の発言は時折こちらにダメージを与えることが多いので侮れないしひやひやする。特に、彼がこんな表情の時は。
「いやぁ、実は昨日、クラリネット奏者のマエジマさんって人が指を捻挫しちゃってさぁ。それでどうするかーって言いあってる時に、あの『うららちゃん』が通りかかったらしくって。トントン拍子で代役決定したはいいんだけど」
「……いいんだけど?」
 なんだか嫌な予感がひしひしとする。
「それが『うららちゃん』……名前以外はキレーさっぱり覚えてなくって、どこに行くのかもわからずに彷徨ってる途中だったらしい。いわゆる『記憶喪失』ってヤツ?」
 記憶喪失?! ミステリィィィ!!
 両手をにぎにぎしたまゆらは、歓喜の叫びを小さくあげた。目など、電飾でも施したかと思えるほどにキラキラしている。
「まぁ、放っとくわけにもいかないから警察にも連絡して昨日は保護がてら近くのホテルに泊まってもらったんだけど、今日からはもう縁もゆかりもない人だからどうするって連中はもめてるわけ。大人って薄情だなぁ」
 光太郎は親指だけで『もめている薄情な大人』を指し示す。
 大人は薄情、は横にどけておいても、確かに血縁関係もない人間をひとり預かるのは子犬一匹預かる気軽さでは行えないだろう。
 かと言って、事情を知っているだけに、代役の謝礼を幾ばくか渡して『ハイ、アリガトウ、サヨウナラ』などできるわけもない。そんなことをすれば『チャリティ・コンサート』は偽善以外の、売名行為と勝手な自己満足に成り下がるだろう。
「それでモノは相談なんだけど、探偵んちって無駄に広いじゃないか。彼女、しばらく預かってくれないか?」
 ほら、ちょうどお前さんが見とれるほどの美人だし!
 光太郎は無責任につんつんとロキの肩を小突いた。先のにやにや笑いの中には、やはりその意味合いも入っていたのだ。なんとも器用な男である。
「光ちゃんちだってどうせ無駄に広いんデショ? そっちで保護したら?」
「広くったって勝手に決められないワケ、扶養家族の立場では。オヤジは人に用事押し付けといて昨日から音信不通だし。その点、腐っても小さくっても所長のそちらさんだったら探偵がオーケー出せば問題ないだろうが。滞在費用くらいは後からになっちまうけどオヤジからきっちりふんだくってやるし、ここはひとつ頼まれてくれないか? フェミニストの俺としては困ってる女の子を宙ぶらりんにしておくのが気持ち悪くってさ」
「光ちゃん、フェミニストって便利な言葉だネ……」
 そんなふたりのやり取りに能天気な声が割って入ってきた。しかも、『右見て左見て、手を上げて横断歩道を渡りましょう』と教えられたばかりの小学校一年生よろしく右手を高々とあげたアピール付きだ。
「はいはいは〜〜い! うちで預かるよ、ちょうど親子ふたり暮らしだし♪」
「まぁ、俺はどっちでもいいんだけど……」
『あんたんちってのはなんか複雑だなぁ』と光太郎が口ごもる。
 彼女の発言は記憶喪失の人間を放っておけないとの純粋な親切心が大部分をしめているのは事実だが、その中に『記憶喪失の女性との共同生活』――非現実生活への期待がほんの僅かでも混じっていないとは誰にも断言できやしないだろうし、そんな下心からのお誘いにその本人を勝手に乗せるのは安易過ぎる気がしないでもない。
 もしかしたらその中で
『記憶喪失の女性との共同生活でいつしか保護意識が愛にv 目指せ年下妻ゲッチュー計画♪』
 そんなものを無理矢理父親である操に仕掛ける気がないとも言えない。なにせ、昨今の女子高生は怖いのだ。
「んー……いや、ボクが預かるよ」
 気になることもあるし……。
 ロキは、むさ苦しい男たちの群れに立つ美女ふたりを眺めやる。
 相変わらず寿は険しい顔で黙りこくり、うららと呼ばれる記憶喪失の娘ははかなげな風情で立ち尽くしていた。



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とうとう『キミの中に融ける夜(通称・融夜)』開幕。恐ろしや恐ろしや。
ちなみに、ラヴェルのボレロを聴いてみたい方は、『踊る大捜査線』の『交渉人』や『デジモン・アドベンチャー』に使われていますのでレンタルしてみて下さい。普通にラヴェルのCDでもいいですけど。
『突撃準備・カウント10!』って感じの曲で大好きです(笑)。