鮮麗なる月佳人 

【 後編 】






「ここで会ったが百年目! 今日こそロキを抹殺してやる!」
 ふふふふふふふとマスク姿で不気味に笑うヘイムダルは、真っ白い野球ボールを手に木の幹へと貼りついた。
「フレイは前にロキと会ってから二週間も経っていないのだ」
 やっかましいっ! とヘイムダルは怒鳴りそうになり、慌てて口を噤む。ここでロキに気がつかれては意味がない。
「百年目ってのはだなぁ、言葉の弾みとかリズムと言うヤツで深い意味はないんだっ。時代劇とかの悪役の常套句にあるだろうが」
「へー。そうなのかぁ、ふぅぅん。悪役にもイロイロとルールがあるのだなぁ」
 フレイは腕を組み、大きく頷いて納得している。
 僕は悪役じゃなぁぁぁいっ! と叫びそうになって、今度は左手で口を塞ぐヘイムダル。本当に、このフレイときたら、平和ボケにもほどがある。
 フレイを気にしていたらチャンスを逃してしまう、とヘイムダルはフレイのことなど視界から綺麗さっぱり削除し、こちらに向かってひょこひょこと歩いてくる黒衣の姿をしっかりと左の目でとらえるのであった。

   * * *

「ホントにいい天気だな。もうすぐソメイヨシノも咲きそうだし」
 ロキは、のんびりほてほてと公園を散歩していた。美しい青色の空はどこまでも広がり、時折舞う風はやわらかくあたたかい感触だ。太陽は惜しげなく光を降りそそがせ、とろとろとした眠気まで誘うよう。
 公園に植えられたソメイヨシノのつぼみもふっくらと膨らみ、あともう少しあたたかさが続けばほろりと咲きほころぶだろう。
 あたたかい陽射しが降りそそぐ書斎か奥庭のあわい木陰で本を紐解くのも気持ちが良いだろうが、散歩もなかなかに良い塩梅だ。
 筋金入りの出不精と評価されても反論の余地さえない燕雀探偵社の引きこもり所長が公園なんぞにあらわれている理由はたったひとつしかない。昨日、息子に心配をかけさせた、その反省からの早速の行動だ。
 と言っても、昨日の演劇鑑賞の余波がまだ残っているのか、彼の散歩はどこかしらふらふらと危なっかしいものであった。よくよく見れば芯のないふらふらとした歩きは、酔っ払いか二日酔いの姿に似ている。滅多に使わない腹筋をはじめとした筋肉をフルに使わせられたあの劇鑑賞が、立派な『筋肉痛』としてロキを襲っていたのだ。
 たかだか劇鑑賞なのに、恐るべし脚本家ミヤケと『爆裂☆コロンブス』の劇団員。
 と思いながらもその劇の一片を思い出しては筋肉痛に苦しむおのれに追加打撃を食らわせてしまうのだから筋肉痛がやわらぐはずがない。
「今度ヤミノ君に誘われたら……」
 腹筋を鍛えてからか、準備体操を充分にしてからじゃないと行けないな、といらぬ心配までしてしまう。
 なにはともあれのんびりと散歩をしているロキであったので、おのれの様子を木陰に張り付いて観察している人物がいるなどと気がつくはずもない。
 だからもって、野球ボールがどこからともなく飛んできて髪先をかすめた時には足をとめてしまった。そのボールが、背後の木にぶつかり『ぼふんっ』と間抜けな音をたてて爆発した時は、まじまじとその焼け焦げを凝視してしまった。
「なんだ?? ボールが爆発した?!」
 だが、悠長に観察などしてはいられなかった。先ほど髪先をかすめた『どこにでもある野球ボール』が次々と飛んできたからだ。ひとつは二メートル手前で爆発し、ひとつは先ほどまでいたところに落ちて爆発した。こうなってはなにがなんだかわからないがひとつところに留まっているわけにはいかないではないか。
「なんなんだよ、もうっ! 当てようと思えば爆発力が弱いっ!」
 木陰では、ヘイムダルが地団太を踏んでいた。爆発力を増そうと恨みの念を込めれば、ボールは大きく湾曲してあらぬ方向へと飛んでいく。ロキの不器用なダンスが見たかったわけではないのにとイライラし、そのイライラによってボールは更に見当違いの方向へと飛ぶのだ。
 今もひとつ、目標から外れてとんでもない方向へ真っ直ぐ飛んでいくボールがあった……。
「あ、マズイ!」
 そのボールの先には、青いベビーカーを押した、若い母親の姿が……
 その事実に、ロキも気がついた。
「危ない!」
 近くに落ちるボールの爆発力はさほどではないが、遠い場所に落ちたボールは地面を舐める勢いで燃えているのだと、不器用に公園を逃げながらも気がつかないロキではなかった。ならば、あの親子へと向かっているボールは、どれだけの勢いで爆発するだろう?!
『間に合わない!』
 ロキは咄嗟にレイヴァテインを呼び出し、その親子へと向かうボールめがけて力いっぱい投げつける。レイヴァテインは真っ直ぐに親子のもとへと飛んで行った。
 バチィィィッ!!
 ボールとレイヴァテインの力が空中でせめぎ合い、空気を裂くかと思えるほどに甲高い音がその場に鳴り響く。
 鋭い火花が幾本も閃き、まるで、小さな太陽が落ちてきたかと見まがう熱量が一瞬にしてその場に生まれた。
 母親は反射的にベビーカーに覆いかぶさって悲鳴をあげているようだが、その声もボールとレイヴァテインの発生させる音で掻き消される……。
 力のせめぎあいに勝ったのはレイヴァテインであった。
 長く長く感じられたその異変は唐突にやみ、公園は静けさを取り戻す。小さな太陽があった場所には、ただレイヴァテインだけが存在していた。
 だが。
 パシン……ッ!
 小さな破裂音がレイヴァテインの内部から聞こえたかと思うと、不気味な亀裂がその表面へと幾本も走り――はらり、と一片が落ちたのを合図に、ロキの目の前でレイヴァテインはあっけなく原型を失った。
「…………ウソ?!」
 三日月と翼を持つ者の意匠を施した、月色をしたロキの魔杖。それが、粉々になるなど考えてもいなかったロキから明瞭な言葉が出てくる余裕はさっぱりとない。
 あちこちに薄い焼け焦げをつくる地面に散らばった月色の破片は、春のやわらかな光を弾いて美しくきらめいているが、あの優美な杖の姿を思い起こさせる姿ではなかった。まさしく『ウソ?!』の状況だ。
 ロキは呆然と、レイヴァテインであったかけらを見下ろしているかと思われたのだが……
「和実君、悪戯が過ぎるんじゃないの……」
「へ? え?! や、やぁロキ君、奇遇だなぁ。どうしたの、やけに怖い顔」
「あーら、ボクが気がついていなかったとでも思ってるの。愛が足りない証拠じゃない? ボールに込められてた陰険な念はまさしく和実君のモノでしょう?」
「やだなぁロキ君、陰険な念だなんて」
 無表情も通り越してどんな表情を作ればいいのかわからなくなったのか、ロキはやけににこにこと木陰に隠れていたヘイムダルへと唐突に詰め寄った。
 確かに、あれだけ爆弾ボールに念を込め、親子連れの存在に声をあげれば隠れていたとしても無駄だろうが、ロキの表情がいつにも増して不気味で、ヘイムダルはここにきておのれの行動を心底後悔した。
 付き合いきれないのだ、とフレイは肩をすくめるとさっさと腰を抜かした親子連れのもとへと赴き、具合を伺ったりしている。その態度でロキに『フレイは関係ないのだ』と意思表示をしているつもりはさらさらない豊穣神であったが、結果的にはロキにそう判断させることとなる。もとから、爆発や殺傷などはフレイの性格や美意識からは遠いとはわかっているロキであったので、実行犯はヘイムダル一本に絞られており、彼の無意識の行動は今後の展開に関係がないと言えば関係がなかったかもしれない。
「おや和実君、どうしたの、大きなマスクなんかしちゃって。それじゃぁ不審者に見えちゃうじゃない。ボクがとってあげよう」
「わ、バカ、やめろ花粉が!」
「和実君、花粉症なの? カワイソウに」
 ロキは、不自然に伸ばした手をふっととめ、心底可哀想なヒトを見る目になる。嫌になるほどに芝居かかった憐れみの表情だった。
 ついで、先とは少しばかり色合いの違う笑みを浮かべた。どこかしら慈愛さえ感じさせる、神々しい笑みであった……のだが、
「なら、毎日祈ってあげなくちゃね。ヒノキとイネ花粉にも反応があるようにって」
 表情とは大きくかけ離れ、発言はなんともえげつない。
「ヒノキ……イネ……花粉」
 微妙に時期をずらして発生する杉とヒノキとイネ花粉。ヒノキはともかくとして、イネ花粉は地域によっては年中空を舞っている。
 ヘイムダルはその言葉だけで憤死しそうになった。杉花粉だけなら四月中にでもこの苦行は終了するが、ヒノキ、イネと続くなんぞ考えたくもない。最低六月までマスク怪人生活だ。
 フレイは彼の心中など知らず、得意のルーン魔法で親子の記憶を綺麗に消し去り、
「悪いことはできないのだ、ヘイムダル。明日からまっとうになるのだぞぃ」
 非常に人道的でまっとうな正論を吐くのであった。


 魂が丸々抜けてしまった状態で自宅マンションへと戻ってきた東山和実ことヘイムダルは、唐突に身体へと戻ってきた魂とともに『とある事実』に気がついて、死体よろしく倒れこんでいたソファからがばりと身を起こした。
「そうだ、ヤツの杖を破壊できたんだ! ロキの戦力が半減したも同然だ!」
 こちらが受けたのは、多大ではあるが『精神的ダメージ』のみ。あちらに与えた損害と比較すれば、圧倒的に向こうの方がダメージが大きいではないか。しかも、ちょっとやそっとでは現状を回復できない決定打。
 ロキが持つ杖を誰が作ったのかは知られていないが、どちらにしても神界でつくられたものだ。この人の世で元に戻せるはずがない……
「ふふふふふ、今度の策略で必ずやロキを抹殺してやる! しばしの安息を楽しむがいい!」
 ヘイムダルはどろどろとした重低音で不気味に笑うが、その為にはこちらも花粉症時期が過ぎるのをじっと待つしかなく、
「ロキの呪いでイネ花粉症にもなってたらどうしよう……」
 少しばかりびくついてしまう、情けない悪役。
 部屋の隅でフレイが
「あきらめた方が良いのだぞ、ヘム」
 のんきに忠告していたが、びくつくヘイムダルの耳に届くはずもないのであった。

   * * *

 ところかわって、定位置に主が戻ってきた燕雀探偵社。
「う〜ん、これは本当に困ったな……」
 机の上には、回収してきた『レイヴァテイン』であったもの。大きな切片でも十センチ程度の長さしかなく、これを指してあの優美な杖だとは誰も気がつくはずがない。
 だが、ロキの表情はと言えば、言葉ほどには困っている風ではなかった。どちらかと言えば、苦笑していると表現するのがぴったりの顔だ。
「子供をかばって壊れるなんて、キミらしいな――アングルボダ」
 口にしたのは、この場にいない女性の名。
 他者にあまり執着心を持たないロキにとって特別な意味合いを持つ、巨人族の魔女――フェンリル、ヘル、ヨルムンガンドの母親の名だ。
 北欧神話エッダの詩の一部に、レイヴァテインはニブルヘムの門前でロキが鍛えた炎の剣で、炎の巨人スルトが所有していると伝えられている。
 けれども、現在ロキが手にしているレイヴァテインは言い伝え通りの品ではなく――ロキ自身が作り出し、常にロキの手元にあったもの。
『傷つける魔の杖』と名付けられてはいたが、本来の目的は、いつもロキがそばにいるわけではなかった幼い三人の子供を守る為の要。
 素材は、もうこの世にはない物質――アングルボダの心臓と胎盤だ。子供を守り育む母親の臓器や血は、何よりも強い子供の護符。
 今回、はからずもヘイムダルの手によって破壊されたレイヴァテインは、本来の目的の為に壊れたとも言えなくはなかった。
 おのれの三人の子供ではないからとあの親子を見捨てて置けなかったレイヴァテイン――アングルボダもまた優しい女性だったとロキはしみじみと思い出す。
「ま、それでも、このままにしておいてイイワケないな」
 美しかった月色の杖は、今は見るも無残な姿。その向こう側に透かして見える満足そうな『彼女』がいたとしても、やはりこのままでいいわけがない。
「あーあ、今日は徹夜で本掘りかぁ」
 ロキはげんなりとしながら、まゆらが知れば目をキラキラさせるだろう特殊な本ばかりをおさめた屋根裏の蔵書室へと向かうのであった。


「ロキ様、お茶が入りましたよ……と、おや?」
 茶器一式を乗せたトレーを手に書斎を訪れた闇野は、いるはずの人物がいないことに眉をひそめ、ついで書斎机に広げられたものに気がついた。
 それは、薄い紫の布に包まれた、壊れ物。
「これは……もしかして、ロキ様のレイヴァテイン?」
 原型を少しもとどめず、あわい月色すらもくすんでいたが、それは確かにレイヴァテインであると闇野にはわかった。
「そうみたいだな。でも、どうして?」
 闇野が取り上げた一片を彼の足元から見上げたフェンリルが顔をしかめる。
 この世にはない物質で作られていると伝え聞いた父親の杖がこんなにも粉々になることがロキの身に起きたなどと耳にしていない。
 実質なにが材料となり、誰が作ったものかは知らないが、レイヴァテインが壊れるなど相当な負荷がかかっているはずなのに。
 持ち主である父親はどこに行ったのだろう? とフェンリルは頭を巡らせるが、闇野は手の平に乗せたかけらをいとおしげに眺めていた。
「なんだか懐かしい感じがしませんか? 兄さん」
「はぁ?」
 なに言ってんだコイツ、と思いながらも、目の前にかけらを突きつけられれば、なぜだか心が落ち着いていくのがわかった兄は――
「うむ、確かに」
 弟に同意せざるを得なかった。たかがかけらに過ぎないのにどうしてだろうとは思うものの、ぼんやりとかけらを眺めていると疑問さえふわふわと掻き消えていく心地がするのだ。
「こう、なんだか……『お母さん』って感じがします」
「親父の持ちモンなのに、ははおやぁ?」
 なにか頭に湧いてんじゃないか?! と言いたくもなるが、その意見もなぜだかフェンリルは否定できなくて。
 フェンリルは頭をぶるぶると振りやり、声を張り上げる。
「いやだからそーじゃなくてっ! それが親父の杖だってんなら、親父もどっか怪我してんじゃないのか??」
「あ、そうですね! ロキ様はドコに?!」
 闇野はあわあわとしてレイヴァテインのかけらを布の上に置いたのだが――あわてすぎたのか、手にしたかけらに指先を引っ掛けてしまった。
 指先にチリリと走ったのは、ほんの少しの痛み。
「あぁっ! 血が……ッ」
「血なんかどーでもいいだろ! あーもぅ、オレは先に行くからなッ!」
 兄さん待って下さいっ! と、闇野はかけらをそのままに、ロキの姿をさがして部屋を飛び出した。


 邪神ロキが持つ月色の魔杖『レイヴァテイン』は、巨人族の魔女アングルボダの血肉を基礎にして作られた。
 本来の目的は、三人の子供たちを守る要。
 三人を産み落とすかわりに命を失った魔女は、死と生を同時に乗り越えた存在だ。
 今その場で、血に連なる者の新たなる力を得て、杖は本来の目的のもとに死を乗り越える。
 レイヴァテインはまったき姿を取り戻し、月の色にも似た光をその身に宿す。
 軽やかに笑う女の声を聞いた者は、誰もいない。


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原作でのレイヴァテインの素材はえっちゃんだとかのつっこみはご遠慮下さい。アニメ版での素材はあかされていないだろうとつっこみかえしますので(笑)。
今後とも捏造もりもりでいきますので、このあたりで原作・アニメ版との差異が受け入れられない! と感じられた方は今後は読まれないことをオススメします。
以前、燕雀探偵社にはテレビないんじゃないですか?! とかコメント来て、激しくへこんだタバサからのお願いでした。