Sakura Crisis 

【 5 】






「うわぁ、キラキラして綺麗だねぇ」
「ここは靴屋さんなんですよぉ。大人の女の人の靴さんはさんきらきらですねぇ」
「れいやちゃんのお靴もかわいいねぇ」
「ありがとうですぅ。お気に入りの靴さんですぅ」
 ショーウィンドーに顔をくっつけんばかりの勢いで張り付き、キラキラした声をあげているのは、着物姿のまゆら――もといゆぅと、すみれ色のワンピース姿の玲也であった。
「ふたりとも女の子だねぇ」
 着物姿のゆぅにとって洋靴は不必要で、玲也にとってはまだまだ年齢が足りない、大きなリボンやビーズで飾られたピンヒール。けれども、必要とか不必要とか、人間とか精霊とか、大人とか子供とか関係なく、キラキラしたものが好きなのが『女の子』の名を持つ生き物なのだと、ふたりの後ろ姿を見ていればしみじみと感じ入ってしまうロキであった。
「れいやちゃん、あちらのお店もかわいいですぅ」
「ぬいぐるみ屋さんですねぇ」
「もこもこくまさん、かわいいねぇ」
「パンダさんもかわいいですよぉ」
 そうしていると、本当の姉妹に見えてくる。ふたりともおっとりおっとりした性格であるので余計にそう見えた。
 まぁ、おっとりおっとりも、この現状にちっとも気がついていないところなど『おっとり』を突き抜けていると思わないでもないけれど、とロキはちらりと視線を背後へとくれる。そこには、街中であるのに振り袖姿で、子供よりも大はしゃぎしているまゆら――ゆぅへと向ける、いろいろな視線が集まっていた。
 観光中なのだろうか、
「オゥ! ジャパニーズゲイシャガール!」
 あきらかな外国人が恐ろしく間違った認識の元に勝手にカメラを向けていたのは非常に特殊な例であるので置いといて、『あの子、神社さんのところのまゆらちゃんじゃない?』との意見は、この街に生まれた時から暮らす彼女に向けられる視線としては一番まっとうであるけれど。
『卒業式にしては時期が遅いし』とか。『これからお見合いだったりして』とか。
 そんな意見も、普通一般に考えつかれることで。
 確かに、今の彼女を街に連れ出せばこれらの視線に晒されるだろうと軽く予測はしていたが、それに人形のように可愛らしい玲也と黒衣姿のおのれが加われば、街中の視線を一手に集めてしまう現状が出来上がるのだともう少し考えてみれば良かったと魂を飛ばしてしまうロキであった。普通に考えれば、こんな三人組は怪し過ぎる。どんな関係なのかは考えても信実にかすりさえしないだろう。
 まぁそこはそれ、一足早い『四月馬鹿』で乗り切ろうと開き直っている、見た目は子供でも保護者役であるロキはつぃと視線を転じる。
 ロキがぼんやりと魂を飛ばしている間にも彼女たちの興味は移り変わり、今はジェラート屋の軒先にいた。ピンクと白の縦ストライプのひさしがつくるあわい影の中、良く冷えたクーラーボックスの中には色とりどりのジェラートが並んでいる。
「じぇらぁとってなんですか?」
「甘くって冷たくっておいしいんですよぉ」
「氷菓子みたいなものですか?」
「えーとですねぇ、凍らせて柔らかくしたミルクに果物を混ぜたような」
「果物の氷菓子なんですか?」
 こっくりと首をかしげて考えるゆぅへと、
「説明よりも実地の方が良くないかい?」
 ロキは財布を取り出しながら提案した。
 そう言えば『実地あるのみ!』に引っ張られてこの現状が出来上がったのだったかと再び魂を飛ばしかけたが、そんなものはきゃぁきゃぁとどれがいいこれがいいと品定めをする女の子ふたり組みの声にまかれて消えさってしまうもの。
「いらっしゃいまっせー♪ 当店の新製品、アボガドあーんどトマトミルク味はいかが……って、ロキじゃねーか」
 ショーケースの向こう側からひょいっと顔を覗かせ、お洒落なジェラート屋にしてはやけに声が大きく勢いのある口上を述べたのは、誰だと考えずともわかる赤貧神――もとい、鳴神少年。
 お仕着せの、ピンクと白の細い縦ストライプのポロシャツはお世辞にも似合っているとは言えなかった。
「……ナルカミ君。ほのみちゃんちのジェラート屋ってここだったの」
 数日前に手がけた事件の依頼人の親が鳴神のアルバイト先の店長だとは知っていたが、まさかこの店であったとは考えもしていなかったロキである。そこかしこに飾られた甘ったるい店内装飾と、繊細さのかけらもない鳴神はどこまで行っても平行線。暖心美の母親も、よく鳴神を雇ったものだと感心せずにはいられない、ある意味チャレンジャーだ。
「ロキ、イイご身分だなぁ。まさしく『両手に花』だな」
 明るく断定してくれるが、こちとらそんなに明るい気分ではないのだと少しは察してくれと言いたくもなるが口を噤む。『他人の感情を察知するなどの繊細な行為を目の前の少年に期待すると馬鹿を見る』と辛辣にこき下ろされているなどと、大らかを通り越して鈍感な鳴神はもちろん微塵も気がつかない。
「それにしても大堂寺、見合いにでも行って来たのか? えらく高そうな着物だなぁ、ソレ」
「ゆぅはお見合いなんて行ってないですよ?」
「ゆ……? なんだロキ、大堂寺、いつもより輪をかけて様子がヘンじゃないか?」
 ゆぅはまったくの知らない人を見る目で鳴神に応対しているので『まゆら』を知る側から見れば確かに『様子が変』だ。
 着物を着た女の子への第一声が『見合いか?』とか『高そうな着物』よりも先に来る言葉があるだろうとか思いながら、ロキは生ぬるく笑うしかできない
「ナルカミ君、知らないの? エイプリル・フール」
「えいぷりるふーるぅぅ? それって四月一日だろ? 四月までまだ数日……」
「この日本列島と言うヤツはとかくこんなイベントごとは先取りの傾向にあってだねぇ、生活リズムが大人も子供もどんどんとはやくなって来ているとの危機感が統計からもはっきりと読み取れるのだけど」
「先取りも何も、クリスマス・イブイブで盛り上がるのと四月馬鹿じゃぁ意味合いがちっとばかし違う気が……」
「世の中には知らない方が幸せなこともいっぱいあるのにナルカミ君の分際でボクの心優しいあたたかな配慮をぶっちぎり無視して恐ろしい真実が知りたいと」
 要するに『聞くな』『知るな』『掘り返すな』『詮索するな』か。
 神界時代からの腐れ縁なので、ロキの言外の言葉が透けて見えた鳴神は、意識を綺麗に『現在』に戻してにこにこと女性軍に愛想を振りまきだした。まゆらが見合いをしようがいつもより変だろうが、ロキが内心不機嫌であろうが、秘密を教えてもらえずにはみごであろうが、売り上げに貢献できなければバイト代のベースアップは見込めないのだから。
「ちなみに、アボガドトマトミルク味って……どれ?」
「これだ。俺が開発した新製品!」
 ちょっとした興味の果てに指し示された、緑とも赤とも白とも言えない奇妙な色でマーブル模様を描いているジェラートを目にして、
「……」
 ロキは絶対にこの事態に彼を巻き込まないようにしようと心に決めた。その奇妙な物体に向けるゆぅのキラキラしい視線を断固逸らせようとの決意とともに。

   * * *

 鳴神がバイトをしていたジェラート店をあとにして、三人は公園へとやって来ていた。
 その公園の端に植えられた櫻の木は、ゆぅの木とは違いまだ三分咲きであった。
「皆さん、おっとりさんですねぇ」
 まだまだ固いつぼみが多い櫻を見上げてゆぅが感想を述べるが、その口調の方がおっとりおっとりとしていて、相手にしてみれば『あなたに言われたくない』かもしれない。ゆぅの櫻は、気象庁の発表した櫻前線情報よりも一足先に満開となったのだから。
 第一、ゆぅの櫻はエドヒガン櫻で、彼女たちはソメイヨシノなのだから種族が微妙に違う。だが、公園の彼女たちもそんな意地悪な指摘をするほど性格がすれていないのだろう、珍しいエドヒガンの姫に微笑を送っている。
 五本並んで枝を伸ばしている櫻のうち姫が宿っているのは二本だけだが、彼女たちは櫻色のふんわりとしたスカートに白いブラウスの洋装姿であった。片方は艶やかな黒髪をくるくると巻き、片方はストレートの髪に大きな白いリボン。双子のようにそっくりなふたりだ。ソメイヨシノは、実は初代の木から刺し木で増やされたものであるので、双子と言うよりかは同一人物、クローンと言っても間違いではなかった。
 ちなみに、エドヒガンは自生種である里櫻と呼ばれる区分に入り、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種だ。エドヒガンは長命だがソメイヨシノは六十年程度の寿命との説が通説なので、同じ櫻の精霊でも彼女たちの方が年若いのだろう。
 ゆぅは、一際大きく枝を伸ばすソメイヨシノの下に置かれた木造りのベンチにちょこりと座り、にこにこと見えない櫻の精霊とおしゃべりをはじめた。やはり、種族は微妙に違っても同じ櫻の姫なのだ。気があうのだろう。
 彼女たちの見えないおしゃべりを、ロキと玲也は少し離れたベンチから眺めやっていた。すみれ色のワンピース姿の玲也と黒衣のロキであっても、このふたり組であれば誰も注目しないどころか、微笑ましい視線をさり気なく投げかけられるだけである。
「ロキ様、今日はどうしてお出かけすることにしたんですか?」
 玲也は、家から急いで戻ってきた探偵社で、
「今日はお出かけしようか」
 とロキに提案されて、少しだけ驚いたのだ。ゆぅを――今の状態の『まゆら』を、彼女が生まれ育った街に連れ出すことが混乱を起こさないとも限らないとなんとなくわかっていたからだ。
 知り合いに会うかもしれない。学校の友達に会うかもしれない。それよりもなによりも、事情をまったく知らされていないらしいまゆらの父親に出くわすかもしれない。
 知り合いや友達は『一足早いエイプリル・フール』で乗り切れるかもしれないが、父親はそうはいかないだろう。大幅に誤魔化した事情しか知らされず、一人娘の様子を見ることすらできない父親の気持ちはどんなに辛いだろうと考えると、玲也の心はぎゅっと痛くなるのだ。それらに気がつかないロキではないだろうに。
「んー、まゆらパパはまゆらのことばっかり考えられない状況になってるはずだから、大丈夫」
「そんなの無責任ですっ」
 今回のロキの態度にはさすがの玲也も思うところがあるらしく、全幅の信頼を寄せている彼女であってもなかなか素直に安心できない。
「本業の方が忙しいはずだから。神主業の方が、ネ」
 ゆぅを燕雀探偵社に連れ帰った日に近所の地縛霊を活性化させたのは、操を屋敷に近づけない意味もあるが――地縛霊を払う本業を忙しくさせる為もあったのだ。
 本人は霊の存在を頑なに認めようとはしていないが『悪霊払い』として彼はその道ではちょっとした有名人であった。真剣に霊に対峙しようとしないどころかまぼろしだの心の迷いなどと逃げまくっているが、態度に反して霊力が強いとは皮肉も過ぎる。単なるパフォーマンスで払われてしまう地縛霊や悪霊も不甲斐ないとロキは考えたりもしていたが、それはそれいろいろな事情があるのだろうし、玲也に教えるべきことでもない。
「そうだったですか」
 ようやっとにっこりとロキへと向けて笑いかけてくれた玲也であった。
「それにしてもロキ様、なんだか優しくなったですねぇ」
 一度にっこりと笑みを向けてしまえば、笑顔がとても似合う彼女のこと、にこにこと笑みを深くする。
「優しい?」
「ロキ様はいつも優しいですけどぉ、もっともっと優しくなった気がするです」
「……そうかな?」
「そうですよぉ。それで、まだ質問に答えてもらってないです」
 態度を軟化してくれたようだが、芯にはまだこだわりがあるようだ。玲也は結構頑固者だったと思い出す。信頼を取り戻すのにどれだけかかるだろうと少しばかり途方に暮れてしまう。こうなっては素直に白状するしかない、これ以上嫌われては目覚めが悪いから。
 と言っても、別段秘密の話ではないのだけれど。
「ゆぅって、ずっとひとりだったんだろうなぁって思って。ほら、まわりに似たような木もなかったじゃない。櫻から離れられない存在なんだから、他の場所を見るチャンスってもうないでしょ。あんまり時間と余裕はなくっても、少しくらい楽しんでもバチは当たらないじゃない?」
 他人にこんな配慮をするなど本当はガラではないけれど、玲也ならきっと笑わない。
「……ずっとずっとひとりって、どんな気持ちでしょう」
 それどころか、玲也は彼女の境遇に心を馳せる優しい少女なのだ。
 玲也は『自分がずっとひとり』の状況を空を眺めながら考えているようだが、本当の意味で『ずっとひとり』は知らないだろう。彼女にはロキもまゆらも、彼女を心配する執事の見野もいる。学校の友達もいる。
 でも、考えることはできる。考えて考えて『ずっとひとり』の気持ちを考えて、そうするとやっぱり悲しくて寂しくなる。胸の中にぎゅぅぅっと冷たい何かが生まれる。『皆と一緒で嬉しい。楽しい』を知っているだけに、余計に辛い。
「とっても寂しい。ゆぅさんは強いです」
 ゆぅにとっては『ずっとひとり』が当たり前だろうけれど、他の存在とのふれあいをあんなに楽しんでいる彼女は『ずっとひとり』を我慢しているはずだ。そんなゆぅを、玲也は強いと感じた。
「……そうだね」
『寂しい』など他者には微塵も感じさせず、三分咲きのソメイヨシノの下でゆぅはにこにこと嬉しそうに話し続けていた。



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